■Ardh Satya (監督:ゴービンド・ニハラニ 1983年インド映画)
最初にポスターを観たときにはギョッとした。それは主人公ないしは重要な登場人物と思われる男の大写しの顏だ。あばただらけの醜い顔。目つきはどこまでも暗く、それはこの男の内面になにかドロドロとしたものが渦巻いているだろうことを予想させる。こんな男が登場するとなると、やはり物語は暗く残酷なクライム・ドラマが描かれているのだろうか。それにしてもこんな醜い顏の男がインド俳優にいるのだろうか。
そう思って調べたらびっくり、なんとこの俳優は、インド映画『ダバング 大胆不敵』『闇の帝王DON ベルリン強奪作戦』『Bajrangi Bhaijaan』などに出演、さらに『ガンジー』『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』『マダム・マロリーと魔法のスパイス』などといった英語圏映画でも活躍している超ベテラン俳優オム・プリの若かりし頃(当時30代)だという。オム・プリも今は50代で貫禄の付いた体をしているから全然分からなかった。(↓現在のオム・プリさんです)
しかもこの映画、観始めてみると、アムリーシュ・プリー、ナッスルディン・シャーといったインド映画の個性派俳優がゴロゴロと出てくるではないか。さらにヒロインは往年の人気女優スミタ・パティル。主人公は警官で、確かに暗い雰囲気ではあるにせよクライム・ドラマ、アクション・ドラマというのではないようだ。これはいったいどういう物語なのだろう?
《物語》アナント(オム・プリ)は経営学修士を目指しながらも元警察巡査の父(アムリーシュ・プリー)に強制的に警察官の仕事に就かされることになる。アナントは暴力的で抑圧的に振る舞うそんな父に対する怒りを常に感じていた。警察官となった彼は正義の理想に燃え職務を執り行おうと努力したが、それを阻んだのは警察の腐敗した体質だった。彼は上司から有力な政治家や町のマフィアに目こぼしすることを強要され、市民の声は無視せざるを得ず、それに対して次第にフラストレーションを溜めてゆく一方だった。その為、知り合ったばかりの娘ジョツナ(スミタ・パティル)との仲も上手くいかず、アナントは次第に酒に溺れ、破滅的な行動を行ってゆく。
このように、映画『Ardh Satya』の物語は理想と現実の狭間で引き裂かれてゆく一人の男の生きざまを描いたものだ。それはある種のアンビバレンツの物語でもある。主人公は強い倫理観を持ちながら腐敗した警察機構の言うなりにならねばならず、強権的な父親を憎みながらその父から受け継いだ警察の仕事を愛そうとし、よき恋人であろうとしながら警察官であるがゆえにその恋人から疎まれる結果となってしまう。主人公はできるかぎり最良の道を選ぼうとしつつ全てに裏切られてゆく。主人公の人生はあらゆる角度から否定される。それは警察官=社会人としての自分の否定であり、父親との葛藤=家族の中にある自分の否定であり、恋人からの拒否=個人としての自分の否定だ。こうして、主人公は逃げ場のない八方ふさがりの中に置かれるのだ。
作品内で描かれる主人公のパーソナリティーもまた多層的なレイヤーを持たせて描かれる。そしてそれがまたアンビバレントな構造を持つ。主人公は高い理想と倫理を持ちながらも結局はキャリアアップのために上層部の不誠実な要求に妥協する。恋人の前では満面の笑みを浮かべ優しげに振る舞う彼だが、恋人を呼び出す電話では声を荒げあまりにも暴力的だ。そもそも、その恋人とは、大学の文学科講師と警察官、リベラルと体制という一見水と油の関係を危うげに続けているではないか。この主人公の抱える矛盾が彼の性格を複雑さに満ちた人間性を持つ者として描き出しているのだ。こうした主人公の性格の全体を見回してみると、一つのことに気付く。それはあらゆることにおいて彼は、「強い男」「一人前の男」である自分を誇示しようとしていたということだ。
それは逆に言うなら、彼の中には「弱さ」があり、しかしそれを懸命に払拭しようとしていたことの表れなのだ。そしてそれは「弱さ」であると同時に彼の「繊細さ」でもあった。物語の中で、主人公アナントと恋人ジョツナとが真に心を触れ合わせる一瞬が描かれる。それはジョツナの読む詩にアナントが感銘とも不安ともつかない表情で聞き入るシーンだ。その詩は鬱々たる予兆に満ちた内容であり、つまりはアナントの暗い運命を予言したものでもあった。しかしこの時、アナントの心は裸であり、真の自分であったのではないか。こうして映画『Ardh Satya』は、「弱さ」を持つ真の自分を受け入れることができなかったばかりに、破滅への道をひた進むことになった男の物語であったことが明らかにされるのだ。
「Ardh Satya」は「半真実」という意味だという。これはつまりアナントのアンビバレンツを言い表したタイトルだったのだろう。実の所映画のカタルシスとしては今一つの出来、という感想だったのだが、物語の構造は実に野心的であり、多数の賞を受賞したのもそれゆえなのだろう。