もっともらしいことを言う声の大きい者に従え!〜映画『帰ってきたヒトラー』

帰ってきたヒトラー (監督:デビッド・ベンド 2015年ドイツ映画)


ヒトラーが現代に蘇り街中大騒ぎさ!」というブラック・コメディ映画『帰ってきたヒトラー』である。原作は2012年に発表されたティムール・ヴェルメシュの同名小説。製作国はもちろんドイツだ!
"蘇ったヒトラー"は、ヒトラー最期の瞬間からタイムスリップしてきたのらしい。何故なのかは不明だ。そして本人はそのこと自体は覚えていないんだが、とりあえずドイツの街が何もかも変わってしまってびっくり仰天。そして徘徊する彼をリストラされたテレビマンが見つけ、「おもろいモノマネ芸人や!」と勘違いしてテレビに出演させちゃうんだが、なにしろ演説の天才ヒトラー、視聴者はすっかり彼に魅了され、「ヒトラーの格好はマズイけど、言ってることは的を得ている!」と大人気に!人々の心をすっかり掴んだヒトラー次の一手を考えはじめた…というもの。
いやこれは面白かった。なにしろなにもかもが痛烈な皮肉で埋め尽くされている。ヒトラーを世界で最も否定している筈のドイツ人が彼の言動に頷き魅了される。これは「戦後ってなんだったの?」ということでもある。あれほどの惨事を生み出した時代を批判し否定して現代がある筈なのに、政治や人々を巡る状況とその不満は何も変わってないじゃないの?ということだ。
映画は純粋な劇作部分と併せ、実在の政治家や有名人、一般市民の中にヒトラーを演じる俳優さんを送り込み、彼らと討論して生の声を採る、という試みもなされているらしい。いわばサシャ・バロン・コーエンの『ボラット』スタイルだ。この中にどれだけ演出が入っているのかは分からないが、幾つかは本当の生の声だろうとは思う。優生思想や純血主義の過ちがどうこういう前に、移民排斥を容易くそこに結び付けられて納得してしまう、"蘇ったヒトラー"の言動を肯定してしまう、そんな"一般"市民に怖気だった。現在ヨーロッパを覆う移民問題や難民問題は市民の生活を実際に脅かしていて、この間のイギリスEU離脱でもその辺が根っこにあるらしく、日本公開が恐ろしくタイムリーだったな、とすら思ってしまった。
そしてそんなヒトラーの言動を、誰一人として論破できない、ということがさらに恐ろしかった。「声の大きいもの」の威圧感に気圧された人々が「そういうものかもしれないな」「逆らわないほうがいいかもしれないな」と黙り込んでしまう状況は、別にヒトラーじゃなくても、どこの世界でも、この日本だってあるじゃねえか、と思えてしまった。さらにそんなヒトラーを、「売れるし金になるからどんどん使っちゃえ」という付和雷同型のマスコミ、「一緒にいれば箔が付くから仲間になっちゃえ」という無批判な有象無象もきちんと描かれていて、ああこれもどこかで見たような光景だよなあ、とやはり真っ黒い笑いが浮かんでしょうがなかった。
さてヒトラーといえば彼を最も悪名高くしたのはかのアウシュビッツだ。これは扱いが難しいからどう使うのかなあ、と思ってたらなんとジョーク(ホテルが"一つ星"ってヤツ)で登場していて、「これ、マジで大丈夫なんっすか!?」とドイツのことなのに心配してしまった。アウシュビッツについてのエピソードはそれだけではないが。だが、「描かねばなら無いもの」がある以上、あえてタブーを破ることも辞さなかった製作者の判断は、やっぱ覚悟があるな、スゲエな、と思えた。ドイツ人ってビールとソーセージ作ってるだけじゃないんだな。
オレ的には「ヒトラーがネオナチの襲撃を受ける」というギャグと「そんなネオナチをものともしないヒトラーさんが国民の英雄に!」という凄まじい皮肉が鳥肌立つほど愉快だったな。そんなヒトラーさんのお気に入りの政党は"ドイツの環境と国土を守る"「緑の党」なんだそうだ。全体的にヒトラーの言うことが平野耕太のコミックキャラの言うことと被って聞こえてしまい、「平野さんこの映画うっとりしながら観るだろうなあ」と想像してしまった。
また、こういった作りのヨーロッパ映画なのにもかかわらず、観に行ったシネコンは座席数の多い劇場を使っていたばかりか、公開2週目に観に行ったのにその席が殆ど満席だったのにびっくりした。観客層も若い人を始めとして幅広かった。ヒトラーって人気あるんだな。どういった類の人気なのかは分からんが……。

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