英米SF賞史上最多7冠受賞作『叛逆航路』は新たなるフェミニズムSFの潮流なのか?

■叛逆航路 / アン・レッキー

叛逆航路 (創元SF文庫)

英米SF賞史上最多7冠受賞作

ヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞アーサー・C・クラーク賞、英国SF協会賞、英国幻想文学大賞、キッチーズ賞の7冠獲得
二千年にわたり宇宙戦艦のAIだったブレクは、自らの人格を四千人の人体に転写した生体兵器〈属躰〉を操り、諸惑星の侵略に携わってきた。だが最後の任務中、陰謀により艦も大切な人も失う。ただ一人の属躰となって生き延びたブレクは復讐を誓い、極寒の辺境惑星に降り立つ……デビュー長編にしてヒューゴー賞ネビュラ賞ローカス賞など『ニューロマンサー』を超える英米7冠、本格宇宙SFのニュー・スタンダード登場!

この『叛逆航路』、まずなんといっても英米SF賞史上最多7冠受賞!》って所で「おお!」ってなりますよね。「『ニューロマンサー』『ねじまき少女』を超える受賞数!」なんて言われちゃうとさらに「おお!おお!」ってなっちゃいますよ。「こりゃもう読むしかないだろ…」と擬音入りで唾ゴクリと呑んじゃいますよね。というわけでさっそく読んでみましたが、いったいどんな作品なのでしょう?まず設定から紹介してみましょう。
『叛逆航路』の舞台となるのは数千年先の遠未来。人類は広く宇宙に版図を広げ、「ラドチ」という名の宇宙帝国を築き上げています。このラドチは専制国家であり、その中心となる惑星は「ダイソン球天体」として存在し、強力な武力によって銀河各地の惑星を侵略し国家に併合していました。この物語では併合を「併呑」と呼び、抵抗勢力や併呑された世界の住民たちの幾ばくかは「属躰(アンシアリー)」と呼ばれる戦闘用生体兵器に改造されていました。属躰となった人間は肉体改造と共に脳もAI人格に置き換えられ、それは戦士であると同時に戦艦AIとしてもリンクしており、1個の自我を持ちつつそれぞれに行動することが可能でした。ラドチは「プレスジャー」と呼ばれるエイリアン(蛮族)と既に接触しており、現在は友好的な交易関係を結んでいます。
また、ラドチ世界には性別を区別する概念がありません。その為、物語では男女全ての人間を「彼女」と呼びます(ですからこの文章でも全ての人物を"彼女""女性"と書きます)。
…どうです?この設定だけで「おおおお!」となんだか前のめりになってきませんか。どことなくワイドスクリーン・バロックSFを思わせる蠱惑的で独特の世界観ですよね。さて、こんな世界を舞台にいったいどんな物語が展開されるのでしょう?

■ミステリアスな物語進行

主人公の名はブレク。生体兵器「属躰」である"彼女"は2000年に渡り宇宙戦艦AIの一部となって生きてきたが、ある陰謀により戦艦は大破、全ての仲間を失ってしまう。今、ブレクは辺境の雪の惑星に降りたち、帝国すら知らぬ"あるもの"を探してさまよっていた。それは、全てを失った"彼女"が復讐の為に必要な道具だった。その惑星でブレクは1000年前自分の管理していた戦艦の副官であり、行方不明となっていたセイヴァーデンという名の"女性"を拾う。時代は飛んで19年前、場所は帝国に併呑されたばかりの辺境の惑星シスウルナ。ブレクは「属躰」の一人として副官であるオーンと共に惑星住民の同化政策推し進めていた。しかし、そこでオーンを陥れる非情な陰謀が進行していたことを知る由もなかった。
『叛逆航路』の物語を一言でいうなら「ミステリアス」、これに尽きます。最初は主人公ブレクがなぜ雪の惑星を彷徨っているのか、戦艦AIである"彼女"がなぜたった一人でいるのか、"彼女"が拾ったかつての副官にいったいどんな意味があるのか、全く分かりません。また、現在と交互に語られる形の、19年前の惑星シスウルナのシークエンスも、これがいったいどのように物語の本筋に関わってくるのかよくわからないのです。こうして物語はどこか霧の中を彷徨っているかのように進行してゆきますが、やがて陰謀とはなんなのか、その陰謀にブレクがどう決着を付けようとしているのかが徐々に明らかにされてくる、といった構成になるんです。
それと併せこの物語を最もミステリアスにしているのが、「男女全てが「彼女」と呼ばれる設定」です。読んでいると段々と登場人物が実際は男性なのか女性なのかうっすらと分かってくるのですが、それでも読んでいて、物語の登場人物がどのようなものなのか頭の中に容易に「絵」が湧いてこない、という奇妙な混乱を抱えたまま読み進めることになるんです。この設定の面白い効果は、「男なら(女なら)こんな行動をする(しない)」という先入観が一切抱けない、という点です。また、この物語では男女の恋愛関係だろうと思われる描写もあるのですが、登場人物たちが実際に男なのか女なのか分からない為に、これが本当に恋愛感情なのか、実は同性同士の親愛なのかが判別できない、といった戸惑いを覚えさせられます。

■『叛逆航路』は新たな「フェミニズムSF」の潮流なのか?

この設定自体は実に面白いのですが、ではなぜこんな設定が持ち込まれているのか?という疑問も湧きます。そもそもこの設定は物語に特別重要な係わりがあるようには見えないからです。自分の考えとして、これは女性である作者アン・レッキーの女性ならではの実験だったのではないかと思えるんです。物語は大枠でいうなら「宇宙SF」であり、宇宙兵士と宇宙艦隊の登場するミリタリー的な側面もあります。これらにはどこかマッチョな側面が付随してしまいがちですが、作者はそれを無効化したかったのではないか。それなら単に男女同権となった社会、もしくは中性化した社会を描くだけでもいいのですが、それでもやはり読む側は先程書いた男女差というものの「先入観」を簡単に拭うことはできないのです。そこで持ち込まれたのがこの手法だったのではないか。
さらにこの物語はよく読むと実に女性的な繊細さのある物語であることに気付かされます。物語の進行が登場人物たちの非常に細かな感情の行き届いた会話、そこからもたらされる心理の変化を描写することで成り立っており、その感情の機微と陰影とが物語の重要な要素を占めるんです。これにより「宇宙SF」「ミリタリーSF」だと思って読み始めたものが、実は一人の人間の心の在り方とその行方を丹念に描こうとした物語であることが分かってくるんです。物語の女性的な部分はそこだけではなく、例えばこの登場人物たちの服装やモラル、住環境に関するこだわりが非常に強い部分からも伺えます。こうした女性性を強く感じる物語なのにもかかわらず、逆にそれを表に出そうとしないのは、作者なりのいわゆる「フェミニズムSF」への態度なのではないかと思うんです。「フェミニズムSF」的なものをオレは詳しく認知しているわけではないのですが、この『叛逆航路』自体が新たな「フェミニズムSF」の潮流になるのではないかとすら思えます。そもそも、ここで書いた「作者が女性だから」という言い方すらも作者は善しとしないでしょう(書いたけど)。
実際のところ、物語内容それ自体には《史上最多7冠受賞作》ということから予想されるSF小説の新たなパースペクティヴを感じさせる部分はありません。テクノロジー描写やその概念に別段新しいものがあるわけでもありません。そして煎じ詰めれば宇宙帝国ラドチとはローマ帝国をイメージしたものであり、「属躰」と呼ばれるものはローマ帝国に奴隷にされた異国民のことであることが容易に想像できます。つまりこれはローマ帝国が屈強な軍隊を繰り出し他国を侵略併合しながらそこで得た奴隷を使役しつつ帝国の繁栄を培ってゆく、といった歴史上の出来事を想像力を膨らませて宇宙に置き換えただけのものであるということもできるわけです。しかし、この作品の特異さは、そういった世界から「性別を区別する概念を取り去る」といった実験を施した点にあるのでしょう。そういった性差のない世界をミリタリーSFで描くとどうなるのか?それがこの『叛逆航路』の面白さなのだということができるのではないでしょうか。

叛逆航路 (創元SF文庫)

叛逆航路 (創元SF文庫)