■Bajrangi Bhaijaan (監督:カビール・カーン 2015年インド映画)
■迷子の少女を救え!
迷子になってインドに取り残されちゃったパキスタン人少女を、とっても人のいいおっさんがパキスタンの生家に届けるため大奮闘しちゃう!?というとっても”はあとうおおみんぐ”なドラマです。主演はあのサルマン・カーン、ヒロインにカリーナ・カプール、共演としてナワーズッディーン・シッディーキー。監督は『タイガー/伝説のスパイ』、そして今年公開された『Phantom』のカビール・カーン。この作品は今年公開されて大ヒットを飛ばし、現在『PK』に続き歴代第2位の興行収益を記録するほどになっています。
物語はパキスタンの寒村に住む口のきけない少女シャヒーダー(ハルシャーリー・マルホートラ)が、母親と共にインド巡礼に行くところから始まります。シャヒーダーはちょっとしたことから帰りの列車で途中下車してしまい、そのまま列車は発車、一人インドに取り残されてしまうのです。迷子になった彼女が目を留めたのが祭りで絶賛ハッチャケ中の男パワン(サルマン・カーン)。しつこくついてくるシャヒーダーにパワンは最初戸惑いますが、口もきけず警察もまともに相手にしない彼女を哀れに思い家に連れ帰ってしまいます。恋人ラシカー(カリーナー・カプール)と共にシャヒーダーの家を確認しようとするパワンでしたが、遂に彼女がパキスタンから来たことを知ってしまいます。ビザもパスポートも無いため故国に帰ることのできないシャヒーダーのため、パワンは彼女を連れ国境を超えること決意します。それは不可能とも言える旅の始まりでした。
■サルマン兄貴、ちょっと太ったんじゃ…
とまあこんなお話なんですが、まず一言言いたいことがあります。この映画のサルマン兄貴、相当貫禄がついてます。要するにメッチャ太ってます。なんかもう、ブクブクッって感じで体がまあるくなってます。そんななので、動きや喋りがどうにも【まったり】しちゃってます。踊りのシーンもありますが、どことなく太極拳やってるふうにも見えてしまいます。一番悲しいのは首の後ろに脂肪がついて二段首になっている部分です。太ったサルマン兄貴、なんだかサンジャイ・ダットに似てます。極楽とんぼの加藤浩次に見えないこともありません。まあこんなこと書いているオレも太っているので、太ったことを悪し様に書く事はできませんが、「あのチュルブルさんも年取るとこんななっちゃうんだー」という一抹の寂しさは拭い切れません。
実の所今作の『Bajrangi Bhaijaan』も、『Jai Ho』、『Kick』と続いてきた「思いやりに溢れた善意の人サルマン兄貴」路線の延長です。体に不自由がある人物を登場させてそれに手を差し伸べる主人公を演出するという手口も一緒です。『ダバング』シリーズ成功後に国民的大人気スターとなったサルマン兄貴が「強くてかっこいいスーパースター」であるだけでなく「高潔で仁徳に篤い人格者」のステータスを映画の登場人物に重ね合わせて打ち出そうという目論みなのでしょう。ただまあラジニカーントあたりとか見ていると意外とインドの映画スターというのはそういうものを求めている、あるいは求められるのかもしれません。それにサルマン兄貴、交通事故の件もあるしなあ。
■善意一筋の夢見がちな男と、それを支える現実的な男
ただ、どちらにしろ「いい人」なだけの主人公が活躍するドラマにはどうも興味が湧きません。別に道徳の授業を受けたくて映画を観ているわけではないからです。では今回の『Bajrangi Bhaijaan』はどうか?というと、確かに「いい人」のごり押しという臭みはあるものの、サルマン兄貴演じるパワンが殆ど「天然」と言っていいほどの馬鹿正直な男で、観ている側はその「隙だらけ」のキャラを「しょうがねえなあ」と受け入れてしまうんですよ。要するに、そんなに、悪くないんです。パワンは善意に溢れてはいるものの、同時にあまりに愚直で純朴過ぎる男として描かれます。危険な国境越えを何も考えずに決意し、さらにその方法すら無為無策です。鉄条網に覆われた国境の柵を、銃を持った兵隊たちを、パワンはどうやって突破するのか?そこに作戦や計略なんかないんです。彼はその純朴さだけを頼りに、それらを乗り越えてゆくんですよ。
しかしそれだけだとやはり「いい人の巻き起こしたいい話」というリアリティ希薄な美談にしかなりません。この物語をピリッと引き締め、リアリティをもたらす存在、それが実はナワーズッディーン・シッディーキー演じるパキスタン人ジャーナリスト、チャンドなんです。そもそもナワーズッディーンのあの南インド顔がなにしろリアリティそのものです。無為無策で特に何も考えずに行動している愚直なパワンの陰で、ああでもないこうでもないと眉間に皺寄せ七転八倒し、パワンの行動を支えている男、チャンド。彼のじたばたぶりがこの物語に可笑しさをもたらし、彼の現実的な対処方法とその尽力が結局のところ最後に物語の突破口となります。「美談」というどこかふわふわした物語に一本芯を通しているのが彼なのですよ。お約束通りとはいえ非常に感動的なクライマックスをこの物語は迎えますが、この感動は実の所サルマン一人ではなく、ナワーズッディーンの存在感があったからこそ引き立ったように思えます。