煉瓦を武器に戦うリテーシュ・デーシュムク君主演のマラーティー語映画『Lai Bhaari』

■Lai Bhaari (監督:ニシカント・カマト 2014年インド映画)

■リテーシュ・デーシュムク君主演の復讐の物語

髭ぼうぼうで顔中血だらけのリテーシュ・デーシュムク君が憤怒の表情を浮かべ両手に煉瓦を持ってあらぬ方向を睨みつけている…!こんな風に映画『Lai Bhaari』のポスターはただならぬ雰囲気をたたえているんですね。どういう映画なのか全く知らなかったのですが、なにやらバイオレンスチックな物語に違いない…よく分かんないけどタイトルの意味はきっと『煉瓦』に違いない(多分違います)…というわけでリテーシュ君と煉瓦が大好きなオレは早速観ることにしてみました(いやそんな煉瓦好きなわけじゃないですが)。

《物語》ニンバルカー家のプラタップ・シンは篤志家として知られ住民たちから敬われていたが、子宝に恵まれず不幸であった。妻スミトラー・デビは家政婦の助言により、ヒンドゥー教の聖地、マハーラーシュトラ州パンダルプールのヴィトーバー寺院へ祈りを捧げに行く。そこでスミトラーはヴィトーバー神に「最初の子供を供え物として捧げるので子供を産ませてほしい」と願ってしまう。プラタップ・シンはそんな願いをした妻に怒るが、スミトラーは悔い改め、そんなつもりはない、と夫に約束する。願いが届いたのかニンバルカー家には男の子が生まれ、アブヘイ(リテーシュ・デーシュムク)と名付けられた。そして25年後。アブヘイは海外留学から帰ってくるが、野望に満ちた彼の従兄弟サングラムの村人への暴虐を目の当たりにし、さらに父が謎の急死を遂げてしまう。実はサングラムはニンバルカー家の財産を狙っており、アブヘイを亡き者にしようと企んでいたのだ。

映画が始まりしばらくして、寺院に集う大勢のインドの人々、そして鮮やかな祝祭風景が描かれ、実に心が躍らされます。自分がインド映画にはまった要素のひとつは、インドのこういった宗教性と色彩が乱れ飛ぶ祝祭の光景からだったのですよ。それまで何一つ知らなかったインド文化の一面をいきなり映像体験させられ、驚かされたのと同時にすっかり魅せられてしまったのです。あー自分はインド映画のこういう部分が本当に好きなんだよなあ、としみじみ思わされるオープニングです。しかしこの宗教色濃厚な映像は、決して映画の彩りではなく、これから始まる物語の性格を如実に示すものだったのです。それは子宝を授かるためにヴィトーバー神に祈願したスミトラーの、「最初の子供を供え物として捧げる」という約束が、ひとつの因縁となってこの物語全編を運命付けることになるからです。

■ヴィトーバー神と煉瓦、あとマラーティー語映画について

ここで物語の重要な鍵となるヴィトーバー神ですが、今まで聞いたことのないヒンドゥー神なのでちょっと調べてみました。ヴィトーバー神はマハーラーシュトラ州とカルナータカ州で礼拝されている神で、ヴィッタラ、パンーンドゥランガとも呼ばれ、クリシュナ神と同一視されています。6世紀頃に同地方の牧畜業の人々らによって信仰され、13世紀パンダルプールにヴィトーバー寺院が建立され、現在人口9万人ほどのこの町は、ヴィトーバー神信仰の中心なのだとか。劇中に挿入される巡礼の映像はワールカリー派(「巡礼(ワーリー)を行う人」の意味)の人々による年に2回の巡礼のものでしょう。このパンダルプールには年に60〜70万の巡礼者が訪れるそうです。

そしてこのヴィトーバー神、通常は煉瓦の上に立っている姿で描かれているらしいのですよ。ここでリテーシュ君がなぜ煉瓦を持って戦っているのか?の謎が解けましたね。ではヴィトーバー神はなぜ煉瓦の上に立っているのでしょう。神話によると、プンダリカという名の親孝行な男がおり、その日も熱心に親の足を揉んでいるところにヴィトーバー神が現れたのですが一向に相手にせず、神になぜかと問われて「親は自分にとって生き神であるから、孝行が済んでからあなたとお会いします。それまで煉瓦の上で待っていてください」と告げるんですね。その親孝行ぶりに感心したヴィトーバー神は、以来煉瓦の上に立った姿として描かれているということなんですね。つまり映画『Lai Bhaari』は、親と子の強烈な情愛の様子をヴィトーバーの神話に託して描こうとしていた、ということが言えるわけなんですね。

そしてこの『Lai Bhaari』はマラーティー語の映画なんですが、自分は「マラーティー語」「マラーティー語映画」ってよく分かってなかったので調べたところ、「アジア映画巡礼」様のこちらの解説がとても分かり易かったです。

マラーティー語ってどこの言葉かご存じですか? ムンバイ、旧名ボンベイのあるマハーラーシュトラ州の言葉なんですね。ヒンディー語と同じくデーヴァナーガリー文字を使っているのですが、一部違う文字があります。(中略)マラーティー語の映画はヒンディー語映画と同じくムンバイで作られていて、近年製作本数が増えています。というのも、「ボリウッド映画」と呼ばれるヒンディー語映画があまりにもハリウッド映画に近くなりすぎて、それを敬遠した地元の人々がマラーティー語映画に流れているんですね。
マラーティー語を習ってみませんか? / アジア映画巡礼

■それは鬼神だったッ!

つらつらと書きましたが、これはあくまで背景であり、物語自体はこれらの宗教的側面を知らなくとも全く楽しめるものです。物語はインターバルを挟んでのインド映画らしい2部構成になっており、前半ではニンバルカー家におけるアブヘイ誕生の秘話と、成人し「プリンス」と呼び親しまれるアブヘイが従兄弟サングラムの陰謀に巻き込まれるまでが描かれてゆきます。そして後半はサングラムの悪逆非道な企みに、遂に怒髪天を衝き反撃の狼煙を上げるリテーシュ君の疾風迅雷の戦いが描かれてゆくのです。

この辺の展開は南インド映画的なバイオレンス風味を感じさせますが、しかしアクションばかりが連打されるような徹底的な力技で物語を牽引するのではなく、適度な駆け引きを演じながら映画の流れに緩急を付けているところがこの映画らしさだと感じました。また、「最初の子供を供え物として捧げる」という冒頭の神との約束が、どういった具合に物語に関わってくるのかがひとつの謎として観客を引っ張ってゆきます。マラーティー語映画は自分にとってこの作品が初めてですが、南インド映画的なバイオレンスを持ち込みつつも、ストーリーテリングにやはり比重を置こうとしていることを感じさせ、これがマラーティー語映画の特色なのかな、とちょっとだけ思ったのですがどうなのでしょう。ストーリーに重点を置いているだろうというのは、その台詞の多さ、若干のややこしさから感じることなんですね。

そしてなにより、この後半におけるリテーシュ君の無敵ともいえる戦いっぷりが凄まじい爽快感に満ちていて熱いんですね!前半で悪役サングラムが遣りたい放題の非道さを見せ付けた後なので、復讐の炎を赤々と燃やすリテーシュ君が相手を完膚なきまでに叩き潰してゆく様が、惚れ惚れしちゃうぐらいカッコイイ!もう画面に向かって「やれやリテーシュ!やったれ!ギタギタにしたれ!」と声援送ってたぐらいです。ここでのリテーシュ君はまさに一騎当千の強さ、鬼神の如き強力ぶりを見せ付けます。

以前『ダバング 大胆不敵』を観た時に、インド映画において悪党を徹底的に叩き潰す様はそれこそ神意であり、だから鬼神の如く戦うのではないのか、と思ったのですが、この『Lai Bhaari』においてはまさに戦いの最中にヴィトーバー神巡礼の映像がオーバーラップされ、その戦いが神意のものであることがあからさまにされているんですね。ここでは神と人とのうねるような交信の様が描かれ、映画そのものに凄みを与えているんですよ。こういった、ひとつのエンターティメント作品の中にインド人の生に関わる土俗と宗教とを絡めてゆく構成のあり方に、インド映画を観る醍醐味を感じさせてくれる傑作でした。