南北インドの無理解と和合〜映画『2 States』

■2 States (監督:アビシェーク・ヴァルマン 2014年インド映画)


インド映画の面白さはその独特のエキゾチズムとインド映画ならではの物語テンポにある。そして自分には馴染みの薄い国インドの、日本とは違う文化、日常感覚に触れることの新鮮さがある。この人たちはなぜこのように考え、このように感じ、このように行動するのだろう?そしてその背景にはなにがあるのだろう?こういったことを考え、想像したり調べたりすることに興味を覚えるのだ。その異文化の在り方を体験することに面白さを感じるのだ。

この『2 States』は「インド南北でそれぞれ違う文化と違う習俗で生きてきた2つの家族が、息子と娘の【結婚】をきっかけにお互いの持つ偏見を露わにし衝突してしまう」といった物語だ。原作は名作映画『きっと、うまくいく』の原案となった小説も書いた人気作家、チェータン・バガトの同名小説であり、自らの体験を基にして描かれた物語であるという。確かに大学構内の描き方に『きっと、うまくいく』の片鱗を感じることができる。

アフダマーバードのインド経営大学院に通うクリーシュ(アルジュン・カプール)とアナニヤー(アーリヤー・バット)は恋人同士。二人は卒業を機に結婚を約束し合ったが、卒業式で鉢合わせた二人の親同士がいきなり衝突してしまう。それは二人の家族がパンジャーブ、タミルというインドの北部・南部に大きく離れた地方に住むことによる、お互いの文化の無理解と偏見からだった。二人の家族の不和により暗礁に乗り上げた結婚だったが、クリーシュはアナニヤーの両親を説得するために就職先を彼らの住むチェンナイに決める。

北インド南インドの遭遇、といったテーマでは以前『Chennai Express』という作品を観たことがあるが、これはどちらかというとアクション&ロマンス主体のエンターティメント作品だった。しかしこの『2 States』はその対立の様がずっとシリアスだ。クリーシュの母親はアナニヤーの一家を「ベンガル人」と差別的に呼び、アナニヤーの母はクリーシュらを「野蛮人」と言い捨てる。お互いの親の心中にあるのは「あんな連中と一緒にされたくない」といった嫌悪感だが、しかしそれは自分には馴染みのない文化に対し単にイメージだけで優劣を付けているに過ぎないということなのだ。

そして親たちは「あんな家の者とは結婚させない!」と息巻くのだが、この物語で面白いのは「愛し合いながら障壁に阻まれる二人」というよくあるテーマを描きながら、その理由が経済格差や人種や宗教といったものでは全くない、といった点だ。二人の家庭は何不自由ない中流家庭で、それぞれに知的であり、本人同士もエリートなのだ。ただ「相手の生まれた地方が気に食わない」というほとんど言いがかりと決めつけだけから生まれた齟齬なのだ。

だからこそ、「それのどこが問題なのだ?」という可笑しさがこの物語にはある。そしてそれは、南北インドなど何も気にせず恋に落ちた二人ではなく、その親の世代といった形で現れている。つまりこの映画が描きたかったのは旧弊な価値観からの脱却、という部分もあるのだろう。

しかし、それがいかに旧弊な価値観だろうと、結婚を認められない二人にとっては切実だ。では二人はどうするのか?ここがこの映画の大きな見せ場となる。二人は、無理解な親を無視してしまおう、否定してしまおう、とは考えない。駆け落ちして二人だけで幸せになろう、とは思わない。二人にとって幸福とは、お互いの両親の幸福が含まれての幸福だからだ。こうして二人は、どうにかしてそれぞれの親に理解を得ようと粉骨砕身するのだ。

この、ある種の障壁に対して粘り強く地道に取り組んでゆく主人公二人のひたむきさに、自分は大きな感銘を覚えた。あきらめず、悲嘆に手を止めることなく、自分のできることを今やること。ヒンドゥー教聖典『ヴァガヴァット・ギーター』には「常に行為を成せ、その結果を動機とすることなく、それは無為よりも尊い」といった教義が記されているが、この『2 States』にあるひたむきさには、そういったヒンドゥー的な心象が隠されているのかもしれない。素晴らしい傑作だった。