最近ダラ観したDVDなどなど〜『俺たちスーパーマジシャン』『リディック:ギャラクシー・バトル』

■俺たちスーパーマジシャン (監督:ドン・スカーディノ 2013年アメリカ映画)


スティーヴ・カレルスティーヴ・ブシェミジム・キャリーが出演、という個人的にはお得感満載のコメディだ。
物語はというとラスベガスの売れっ子マジシャン・コンビ、バート(スティーヴ・カレル)とアントン(スティーヴ・ブシェミ)がバートのわがままでコンビ解消、すっかり落ちぶれたバートは再起を目指すが、これを変態パフォーマー、スティーブ(ジム・キャリー)が邪魔をする、といったもの。
「ラスベガスの売れっ子マジシャン」という設定なのに映画で登場するマジックがどれもありきたりのしょぼいものばかり、というのが逆に可笑しい。だからこそラスベガスから放逐されちゃう訳なのだが。
物語はその後、高慢な性格だったバートが老人ホームでボランティアをしながら「真に人に喜ばれるマジック」の在り方に気づく、という流れになるのだが、この辺はハリウッド・コメディのセオリーである「底辺まで落ちた者の起死回生」をなぞる形になっている。
こういった「再チャレンジとその成功」というモチーフは本当にアメリカ人って好きなんだなあと思う。これは「成功」だけの物語ではなく、敗者復活戦といった形の弱者救済の物語でもあるのだと思う。このバイタリティと不屈さがこそがアメリカ人をアメリカ人たらしめているのだろう。いろいろ文句はあるけれども、アメリカ人のこういった部分は素直にスゲエよなあ、と感嘆するし、同時にハリウッド映画の強さなんだろうとも思う。
こんな物語を乱調させるのがスティーブ役であるジム・キャリーの怪演だ。マジックとは名ばかりの危険なパフォーマンスを演じるスティーブだが、これがどれもドン引き必至のマゾプレイで、物語をあらぬ方向へ向かわせる。だがいつものジム・キャリーだと思えばこれもまた楽しい。
他にもヒロイン、ジェーン役のオリヴィア・ブライト、主人公らの心の師であるマジシャンを演じるアラン・アーキンなど、脇も充実している。定番タイプのアメリカン・コメディで、このジャンルの好きな人ぐらいにしかお勧めはしないが、個人的には満足だった。

リディック:ギャラクシー・バトル (監督:デヴィッド・トゥーヒー 2013年アメリカ映画)


ピッチブラック(2000)』『リディック(2004)』に続く「宇宙悪党リディック・シリーズ」第3弾。しかしこの前作2作、観てはいるんだがどうにも退屈だった記憶がある。どこがどう退屈だったのかは、なにしろそれぞれ10年近く前の作品だからよく覚えていないんだが、物語が大雑把に感じたとか美術がチャチかったとかなんかそういうことだったのだと思う。思うが全然違う理由だったかもしれない。
なにしろそんなつまらなかった記憶しかないシリーズの新作をまたしても観ることにしたのは、SF映画だからとりあえず押さえておこう、という気持ちからだった。で、結論から言うと、これが非常に面白かったので逆にびっくりした。全然期待していなかったというのもあるが、今まで『リディック』シリーズに抱いていたネガティヴな感想は実は間違いだったんじゃないのか?と自分を疑いたくなるほど面白かった。だから前2作も、もう一度観返せば感想が変わるかもしれない。別にSF映画史に新たな1ページを記したとかそういう大層なものではないにせよ、「B級アクションSF」という括りの中では十分な完成度ではないか。
考えるに、今作の『リディック:ギャラクシー・バトル』を面白く観ることができたのは、まず基本的な舞台となるのが一つの惑星の狭い範囲、という限定したものであることが挙げられるだろう。大宇宙を股にかけてます、といったスケール感を出すためにガチャガチャとロケーションを変え、逆に散漫なイメージに貶めてしまうことがないのだ。そしてリディックと敵とがあらかじめ固定で、これがひとつの場所でじっくりと腹の読みあい探り合いをしつつ戦いを繰り広げる、といった展開が物語の没入感を深めるのだ。この敵との遭遇までに、未知の惑星を彷徨うリディックの姿をきちんと描き、この惑星の不気味な様相を観客にしっかり植えつけた、という構成も功を奏している。
物語自体も神出鬼没のリディックとやさぐれ者の賞金稼ぎ集団との戦い、といったもので、SF的な奇想天外さというよりは西部劇やギャング同士の抗争を異世界を舞台にやってみました程度のものなのだが、これが逆に分かり易く親しみ易いアクション展開を生んでいて楽しめた。ただしクライマックスはきちんとSF的だ。それと個人的にはSFTVシリーズ『バトルスター・ギャラクティカ』にカーラ・スレイス中尉役で出演していたケイティー・サッコフを再び見ることができたのが非常に嬉しかった。