オレと手塚治虫〜『ブラック・ジャック創作秘話(5)』を読み終わって

ブラック・ジャック創作秘話(5) / 宮崎克, 吉本浩二

二人の娘から見た父・手塚治虫。夜ごと印刷所に現れる“砂かけ男”。“ギャグの神様”赤塚不二夫の激白。そして最後のアシスタントが語る手塚治虫の仕事場の終わり…。 実録・手塚治虫伝説、堂々完結!!

オレは昔、手塚先生を一度だけこの目で見たことがある。あれはオレがまだ10代の上京間もない頃だった。都内のある大学の大学祭で、手塚先生と映画監督の大林亘彦氏との対談が催されたのだ。実は当時、個人的には手塚先生の漫画は見限っていて、むしろ『転校生』でヒットを飛ばして間もない大林亘彦氏を見に行きたかったのだ。しかし、やはり講堂に現れたホンモノの手塚先生の姿には感慨深かった。対談も、大林氏が手塚先生を立てる形で聞き役に徹していた。
どんな話をされていたかは殆ど忘れてしまったが、一つだけ、質問コーナーでの手塚先生のある話が耳に残っている。それは宮本輝原作・小栗康平監督による映画『泥の河』を全否定していたことだ。手塚先生が言っていたのは、ああいった形の、汚い現実だけをあからさまにするようなリアリズムは大嫌いだ、といったことだった。
オレは実は、その時手塚先生が何を訴えたかったのかよく分からなかったのだけれども、この話が妙に頭にこびりついて、長い間そのことについて考えていたのだ。そしていつしか、自分の物語というものに対するスタンスが、手塚先生のその時の言葉とシンクロしたことに気付いたのだ。自分も、露悪的な、いわゆる「汚い現実だけを取り出したフィクション」が大嫌いだった。そしてその時、手塚先生が自らの物語に何を籠めて描きたかったのかに気付いたのだ。
手塚先生は「夢と希望」の漫画家では決してないし、むしろどろどろした人間心理の奥底を暗く汚く描くこともあったけれども、しかしそれはあくまでフィクションとして、つまりはエンターティメントとしてきっちり昇華していた作品となっていたと思う。それは作家として、描くものをどう対象化するか、といった作法なのだと思う。それに気づいた時、手塚先生の手塚治虫たる片鱗を見たような気がしたのだ。たった一度だけだったが、あの時手塚先生の姿を見ることができたのは、オレにとって宝物のような素晴らしい思い出である。
さてさて、この『ブラック・ジャック創作秘話』はそんな手塚治虫伝説を描くコミックの第5巻だ。最近の巻は段々ネタ切れしてきてたんで、そろそろ潮時かなあ、と思ったらこの5巻で堂々完結。そして内容のほうはまず冒頭、「最終巻までとっといただろ!」と思わせる手塚治虫と二人の娘との交流を描いた感動編。子供から見た父・治虫といった視点はさすがにほろっとさせられちゃったじゃないかコノヤロ!途中は赤塚不二夫と手塚の絡みなどを描きながら、最終話は病床の手塚と手塚プロ最後の一人となった男とのドラマ。あー手塚先生死んじゃったのまた思い出しちゃったじゃないかオイ…。