ナチス高官暗殺作戦の行方〜『HHhH (プラハ、1942年)』

■HHhH (プラハ、1942年) / ローラン・ビネ

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

ナチにおけるユダヤ人大量虐殺の首謀者ハイドリヒ。〈金髪の野獣〉と怖れられた彼を暗殺すべくプラハに送り込まれた二人の青年とハイドリヒの運命。ハイドリヒとはいかなる怪物だったのか? ナチとはいったい何だったのか? 登場人物すべてが実在の人物である本書を書きながらビネは、小説を書くということの本質を自らに、そして読者に問いかける。「この緊迫感溢れる小説を私は生涯忘れないだろう」──マリオ・バルガス・リョサ

第2次世界大戦におけるナチス・ドイツ高官暗殺計画で唯一成功した「類人猿計画」を描く物語である。ターゲットの名はラインハルト・ハイドリッヒ。

ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となった。ユダヤ人問題の最終的解決計画の実質的な推進者であった。その冷酷さから「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と渾名された。 Wikipedia:ラインハルト・ハイドリヒ

傀儡政権指導者としてチェコ駐留中のハイドリッヒを、ロンドンのチェコ亡命政府が送り込んだパラシュート部隊が狙う。そしてそこには、周辺諸国の及び腰により、あたかもナチへの供物のように蹂躙されたチェコの悲惨が背景にある。物語は前半にハイドリヒの狡猾さと残忍さを浮き彫りにさせ、後半に暗殺計画とその顛末を描くところとなる。
実を言うとラインハルト・ハイドリッヒもこの暗殺計画の存在も知らなかった自分は無学を恥じつつ大いにこの物語にのめりこむことができた。そこには更なるナチスの残虐が描かれ、それを阻止するために片道切符の暗殺計画に挑む男たちの悲痛なる戦いがあった。計画に臨んだ男たちは、最初から、帰還を想定せず死を覚悟してチェコへ飛んだのだ。膨大な資料を綿密に構成し、まさに目の前でそれが起こっているかの如く暗殺の経過を描くその筆力には驚かされるばかりだ。
しかもこの作品は単なるドキュメンタリーではない。いかに膨大な資料を積み上げたところで、そこから抜け落ちる「事実」は必ずある。その抜け落ちた「事実」を、作者はどう補うのか。それに対し作者は、それを想像や創作で補うのは「厳然たる事実」に対して不遜極まりないことなのではないか、と考える。同時に、資料と史実のみに奉仕した文章ならば、作者の存在=エゴは必要の無い物となる。
片方に客観的で正しい史実を描きたい、という想いがあり、片方にその歴史性に対して、今ある自分はどう考え、どう感じているのかを書き記したい、という想いがある。そのジレンマを、ジレンマのまま作者は書き進む。だからこそ、クライマックスの暗殺シーンにおいて、物語はドキュメンタリーでもなく創作でもない、作者の暗殺部隊に対する大いなる共感が、うねるような文体となった怒涛の展開を読者の目の前に突き付けるのだ。この「描く」ということに対する一筋縄のなさ、これこそが『HHhH (プラハ、1942年)』を素晴らしい作品として完成させているのだ。

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)