カルトムービー監督ホドロフスキーによる未完のSF超大作の全貌を描くドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』

ホドロフスキーのDUNE (監督:フランク・パヴィッチ 2013年アメリカ映画)

I.

フランク・ハーハードが1965年に発表したSF小説デューン 砂の惑星』は、不老不死の妙薬として知られる銀河で最も貴重なスパイス"メランジ"を産出する惑星アラキスを舞台に、敵対する家同士の陰謀術策と、砂漠で覆われた惑星ならではの特異な生態系を描き、ヒューゴー賞ネビュラ賞を受賞したSF史上に残る大作である。翻訳版だけでも全4巻、さらに多数の続編が書かれており、自分も読んでいたがどこまで追いかけきれていたか覚えていない。
その『デューン』がカルト映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーによって映画化企画されていたことを知ったのは、SFビジュアル雑誌『スターログ日本版』を読んでいた時だった。『スターログ日本版』は本家アメリカ版を基に1978年から1987年まで刊行されていた(その後1999年から2006年まで再刊行)雑誌だったが、SF映画のみならず、アメリカンコミック、バンドデシネ、さらにフランク・フラゼッタやクリス・フォスなどのSFアート画家の紹介に力を入れていた雑誌だった。メビウスの名を知ったのもこの雑誌からだったと思う。SF好きだったオレがこの雑誌が紹介するめくるめくようなビジュアルに毎月狂喜乱舞していたことは言うまでもない。
スターログ日本版』で紹介されていたホドロフスキー版『デューン』の内容は驚くべきものだった。曰く、メビウスとクリス・フォス、当時映画『エイリアン』で時代の寵児となっていたH・R・ギーガーがビジュアルを担当、配役はオーソン・ウェルズにシュルレアリズム画家サルバドール・ダリローリング・ストーンズのスター歌手ミック・ジャガー、そして音楽がピンク・フロイド。雑誌には既に製作されていたいくつものイメージボードが並べられ、そのSF心を捕えて離さないえもいわれぬビジュアルの数々に陶然としたのを覚えている。その時雑誌に、この企画が頓挫したものであることが書かれていたかどうかは記憶にないが、だとしても製作中止の事実はその後知ることになったはずだと思う。

II.

当時オレが監督アレハンドロ・ホドロフスキーを既に知っていたかどうかは、これも記憶が曖昧なのだが、映画好きだったオレは前後どちらにしろホドロフスキー作品をビデオで観ることになる。若い頃って「カルト」と名の付いたものに強烈に惹かれたりしないだろうか?少なくともオレは一部で相当のカルト映画と評判の高かったホドロフスキー作品に興味津々だった。そしてビデオを買ってまで観た『ホーリー・マウンテン』はとんでもないシロモノだった。カルト映画という呼び名から想像する芸術的で高尚だが退屈で難解、といった予想を裏切り、ひたすら煽情的な表現と目の痛くなるようなビビッドな映像に彩られたトリップ映画だったからである。
ホドロフスキーの映画は生と死、聖と俗、清浄と汚濁が強烈なコントラストを帯びながら混沌の坩堝の中で煮えたぎっていた。その表現はアートギャラリーに秘宝館のハリカタと女陰石を並べてしまったような、芸術的であると同時にチープないかがわしさに満ちていた。ホドロフスキー作品を唯一並び比すことができるものがあるとすれば、それはガルシア・マルケスマジック・リアリズム作品群だろう。チリ生まれのホドロフスキーは、コロンビア生まれのマルケスと同じ、ラテン・アメリカの強烈な太陽と、その光の生み出す黒々とした影を作品に内包したマジック・リアリズム作家ということができるだろう。
ホドロフスキーの代表的な3作品、『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ』は数年前デジタル・リマスター化されBlu-ray、DVDで発売されたが、オレは日本版が出るのが待てず3作品とも輸入盤Blu-rayで購入、リマスターにより驚くほど美しく蘇った映像を堪能した。さらに最近では『アンカル』『メタ・バロンの一族』などホドロフスキー原作のバンドデシネが多数訳出され、これも余すことなく購入し読み耽った。カルト作家をもてはやすのはどこか知ったかぶりの見栄のように思われるからあまりしたくないのだけれども、少なくともホドロフスキーは結構好きな監督だということが出来る。

III.

さて、やっと『ホドロフスキーのDUNE』の話になるのだが、実際の所この映画には既に知っていたこと以上の内容はそれほど無い。強いて言えばかつてデヴィッド・ボウイと浮名を流しロキシー・ミュージックのアルバム・ジャケットを賑わせたモデルのアマンダ・リアもまた映画出演予定だったこと、フランスのプログレッシブロックバンド、マグマも音楽として採用されていたことぐらいか。また、ホドロフスキーの息子が『デューン』の主人公ポウル・アトレイデ役に充てられていたのには流石のホドロフスキーも親馬鹿なんだな、と思えて微笑ましかった。笑ったのはデヴィッド・リンチ版『デューン』が公開された時のホドロフスキーの反応だ。映画監督としてリンチを高く評価していたホドロフスキーは、リンチ版が素晴らしい作品になっているだろうことを予想していた。しかし実際観たその作品はあまりに酷かったので、ホドロフスキーは嬉しくてたまらなかったのだという。うん、分かるその気持ち…。
それよりも、『デューン』がメビウスにより緒端から終端までを完璧に網羅した膨大な量のイメージ・ボードを完成しており、まさにそれを撮るだけだった、ということは驚いた。それだけではなく、そのイメージ・ボードをCGで動かすことにより、幻の『デューン』オープニングを再現してしまっているのだ。これは感無類だった。そして誰もが思うように、「これがもし完成していたら、どんなことになったのだろう…」と果てしなく想像してしまった。しかしこれが完成したとしても、それは「SF史上に残る大作小説『デューン』を映画化したSF映画の大傑作」ではなく、「『エル・トポ』のホドロフスキーの撮ったカルトでオカルティックなマジック・リアリズム映画」になったことは必至だろう。ホドロフスキーはこのドキュメンタリーの中でも「原作レイプ」を公言しており、そのクライマックスも原作とは大きくかけ離れた、スピリチュアル寄りの結末となっていたことが言及されているからだ。それは万人向けではなく賛否両論の作品となっただろう。
ホドロフスキーのDUNE』の中で述べられている、ユニーク極まりない製作メンバーの召喚の経緯、そしてこの作品のイメージ・ボードがその後のSF映画作品に与えたとみられる多大なる影響、それらは実の所それほど興味が無い。映画作りは誰がやるにしても大変なものであるだろうし、影響とは言いつつ牽強付会な感も無きにしも非ずだったからだ。そんな「昔話」やら「功績」なんかどうでもいい。それはホドロフスキーも同じ気持ちなのではないか。それよりも表情豊かで稚気溢れる語り口調を見せる「今」のホドロフスキーを観られること、その表情から見え隠れする彼の想像力の奔放さを感じることにぞくぞくさせられるのだ。そしてこの『ホドロフスキーのDUNE』を切っ掛けに、長年疎遠となっていたプロデューサーのミシェル・セドゥーと再び相見え、23年ぶりの新作『リアリティのダンス』が製作された、ということが嬉しい。ホドロフスキーはとてつもないキャリアを持つ伝説のカルト映画監督だが、それがまだ現役として活躍している。その、『デューン』を経てなお衰えない、ホドロフスキーの活力に拍手を送りたいのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=q75RaebfRXw:MOVIE:W620

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