ペールエールの海に溺れて、このまま破滅してしまいたい〜映画『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』

■ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う (監督:エドガー・ライト 2013年イギリス映画)

I.

一時期アイリッシュ・パブにはまっていた時期があった。パブで飲むエールが好きだったのだ。上面醗酵で醸造されるエールは、日本でよく飲まれる下面醗酵醸造のラガー・ビールと違い、泡立ちが滑らかで、フルーティーな甘みとコクがある。喉越し優先のラガー・ビールには無い、ビール本来の美味さを楽しめるビールなのだ。そしてエールはそのメーカーによって様々な味の違いがあり、それを飲み比べるのもまた楽しみの一つだった。今はアイリッシュ・パブという業務形態の店にこだわらず、国産も含めたエールタイプのクラフトビール、そしてベルギービールも置いてある店によく通っているが、こんなビール三昧の毎日を過ごすようになったのも、やはりアイリッシュ・パブの"発見"から始まったのだった。

II.

『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』は、そんなアイリッシュ・パブのハシゴ酒を目指す5人の男たちの物語だ。しかもこのハシゴ酒にはある因縁がある。今や40代に差し掛かったこの5人、20年前の若かりし頃に、一晩で12軒のパブを巡るという遠大な計画を立て、それを成し遂げられなかった、という経緯があったのだ。まあしかし、そんな昔の若気の至りの計画など、普通は忘れている。だが、主人公ゲイリーだけはそれを忘れることができず、乗り気じゃないかつての4人の友人たちを無理矢理招集し、このリベンジマッチを遂行することになったというわけだ。
しかし、わいわいがやがやとハシゴ酒を続けるこの5人は、いつしか異星人の地球侵略の陰謀に直面することになる。酔っぱらいたちは果たして地球を救えるのか!?というか酔っぱらいに救われる世界っていったいどうなのか!?というのがこの『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』だ。ちなみに「ワールズ・エンド」とは宇宙人侵略による世界の終り、という意味とは別に、この5人が最後に目指すパブの名称でもある。
監督は『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ホットファズ -俺たちスーパーポリスメン!』『スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団』のエドガー・ライト。そしてサイモン・ペッグニック・フロストといういつものエドガー・ライト組の俳優が主演を務め、『ホビット』シリーズ、『SHERLOCK(シャーロック)』シリーズのマーティン・フリーマン、『007/ダイ・アナザー・デイ』『アウトロー』のロザムンド・パイクが共演、さらに『007 ゴールデンアイ』『マーズ・アタック!』のピアース・ブロスナンもちょっぴり顔を出している。

III.

物語では次から次にギャグが連発され、ゲラゲラ笑っているその瞬間にも次のギャグが繰り出されるものだから、一時たりとも目が離せないぐらいだ。さらに異星人に肉体を乗っ取られた「ブランク」との戦いもアクションの連続で、このギャグとアクションのスピード感はこれまでのエドガー・ライト映画でもピカイチだったのではないかと思う。そしてパブでビールを飲むシーンもふんだんに盛り込まれ、ビール好きの人間には観ていてビールを飲みたくなること必至だろう。ラストは少々とっちらかったのを無理矢理まとめた感もあるが、全体的に非常に満足のいく作品に仕上がっていた。
だが、この作品には最初の段階で疑問に思ったことがあった。それは、主人公ゲイリー・キングが、なぜ20年前の夢よもう一度と、疎遠になっていたかつての友人たちを集め、わざわざ今になってハシゴ酒をしようと思ったのか?ということだ。冒頭、ゲイリーがアル中のカウンセリングを受けているシーンがあり、その現在の風体や言動からも、ゲイリーがあれから20年経った今、単なる負け犬として過ごしてたことが分かる。彼の友人たちは誰もが皆お気楽な青春時代を卒業し、それぞれが家庭と仕事と責任を持つ大人として過ごしていたのにも関わらず、ゲイリーだけが、社会に馴染むことのできぬまま、落ちこぼれの人生を過ごしているのだ。ゲイリーにとって、人生で一番輝いていたのは、20年前の、あの友人たちとつるんでのハシゴ酒の時だけだったのだ。

IV.

アル中患者が、アルコールを止めなければ、そこには死が待っているだけである。しかし、ゲイリーはその禁を犯して、その人生で最も輝いていた時期のハシゴ酒をもう一度試みようとする。そしてそこに、多分ゲイリーの人生で、唯一友人と呼ぶことのできた4人を集めるのだ。それはなぜなのだろう?12軒のパブを回るハシゴ酒、それを貫徹して、よかったよかったそれでは皆さんまたお元気で、と彼は終えるつもりだったのか?しかしその後彼には何があるのだろう?いや、彼には何もないのだ。彼の人生に最初から何もなかったように、その後も、何もないのだ。それではこのハシゴ酒はなんだったのか?映画ではそれは描かれないけれども、多分彼は、そこでもう一度人生の頂点を再現して、そして、死にたかったのではないだろうか?彼は、全きの破滅こそを希求していたのではないだろうか?
ゲイリーは、ハシゴ酒貫徹という"有終の美"(劇中何度も出てくるビールの名前でもある。ここから既に死を予感させている)を飾ってその人生を終えたかった。異星人侵略の危機的状況が明らかになったにもかかわらず、それでもハシゴ酒を止めないというシチュエーションは、あまりに馬鹿馬鹿しくてそれ自体がギャグになっていたけれども、実は、ゲイリーのこうした破滅願望が、全ての危機よりも優先したからこそ、彼は頑なにパブを回り続け、そこで酒を飲み続けたのだ。
しかし、そんなゲイリーを破滅願望から救ったのは、皮肉にもこの異星人の侵略である。異星人に体を乗っ取られ、ロボットのような姿となって生きる人たち、というのは、エドガー・ライトの『ショーン・オブ・ザ・デッド』で描かれたゾンビたちと、その意味において一緒である。思考停止したまま日々生き、漫然と日課のようにショッピングモールに通う人々をゾンビとして描いた『ショーン・オブ・ザ・デッド』のように、この『ワールズ・エンド』でも、異星人に体を乗っ取られた市民たちというのは、思考停止したまま生きるつまらない一般人の暗喩なのだ。そしてゲイリーは、このロボットたちと相対することにより、自分自身が、己が自由さをまずその人生の第一義として生きてきたことに気づくのである。自分が決して負け犬でも落伍者でもなく、自らの欲することに忠実に生きてきた人間であるということを。
そう、映画『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』は、死と破滅の願望に取りつかれた男が、自らの人生の意味に気づく、再生の物語だったのである。