手抜き企画『昔の日記の再録だ!〜『北海道に行っていた(2004年6月27日〜7月4日)』の後編である。
天の川
(前回までのあらすじ)そうやって2時間あまり。午後9時近く。バスに揺られていたオレが最後に辿り着いたのは、街路灯一つ無く、まばらな民家にさえ家の灯りが点いてない、真っ暗な山の中のバス・ターミナルなんであった。そして、そこで、この鈍い男はやっと気付いた。「此処、何処なんだ?」
取り合えずオレはバスが来た道を逆に歩くことにした。5つぐらい前の停留所に町があった(それ以外は単に何も無い道端に停留所があるだけ)のと、そこにタクシーの営業所を見ていたからだ。荷物は重かったが、急ぐわけでもないし、知らない土地を歩くのは気持ちがいい。だがもう一つの方法として既に親戚の家に到着している弟に救出を頼むという手がある。という訳で携帯電話を掛ける。(それにしても、この携帯電話、つい最近買ったばかりなんである。これが今回活躍しまくりで、偶然のようだがあながちそうでもない、人生の不思議な符号を感じた。というか今回の帰郷自体、今年突然あれこれ変化し始めたオレを取り巻く状況の、その一つって感じなんだよな)「海岸線を北に向かって歩いてるよ。目印になりそうなものはなにもないぞ。」弟に告げると取り合えず車で向かってるので目印見つけたらまた電話くれとの事。
人気の無い海岸沿いの道をとぼとぼと歩く。夜空には半月に近い八日月。雲の流れが速くて時々月明かりが遮られる。水平線の向こうには小さな光があちこちに点在している。たぶんイカ釣り漁船だろう。街の明かりが無いこんな場所の夜空なら、水平線から上る天の川が見えるはずだ、と思って夜空に目を凝らしたが見えはしない。子供の頃はよく見えたんだけどな、と思って気付く。ああ、オレ、あの頃の半分以下の視力なんだ。
小さな住宅の集落とこうこうと明かりの点いた自動販売機を見つけ、此処を目印にしてくれ、と弟に告げる。CDウォークマンでジミ・ヘンドリクスを聴いていたら、ほどなく妹の旦那の運転する車がやってくる。「お前、本当はこういうシチュエーション楽しんでるだろ?」車に同乗していた弟に笑われる。久しぶりに会うけれど、オレの性格はしっかり読まれている。
“世間知らずのガキ”
喪主のいる家へと到着する。此処の家族とは本当に30年ぶりぐらいだ。子供の頃しか知らない2人の従姉弟の顔を見てもそれと判らない。叔母、叔父夫婦とも20年ぶりぐらい。そして5年ぶりに会う妹。「何道に迷ってんるんだよ」からかわれながら、皆で久々の顔を懐かしがる。
親戚達と酒を飲みながら話す。オレが話をしだすと皆が面食らっている。「お前、性格変わったなあ。昔はろくに口も聞かない子供だったぞ。」叔父夫婦に言わせると、学生の頃のオレは冗談にさえニコリともしない気難しく理屈っぽいガキだったと言う。あの頃は何処に行っても人と顔を合わせず本ばかり読んでいた。今みたいに、どこかのお笑いタレントよろしくおどけた調子でべらべら喋ることなんて無かったんだそうだ。「そりゃ人も変わるさ。東京でいろいろあったんだよ」という訳で東京でいろいろあったとされることをあれこれ面白おかしくでっち上げてさらに笑いを取る。
10代の頃の“本ばかり読んでいる気難しく理屈っぽい生意気なガキ”は不幸な奴だった。自分の事を人とは違う賢い人間だと思っている不愉快な馬鹿野郎だった。ガキは世間知らずだったんだ。こんな人間は社会とそりが悪い。そして簡単にドロップアウト。そこから生活能力のある普通の社会人みたいなものになるまではしんどかった。あちこちで滑りまくりコケまくって、ようやく手にしたのがこのお馬鹿さんのキャラクターさ。此処までは長い道のりだったぜ。
霊前で手を合わせる。今日は通夜だったんだが、此処の風習で、既に火葬は済んでるという。今晩は線香の火を絶やしてはいけないということになっているらしく、オレが線香番をすることになる。皆が寝静まる中、深夜3時まで起きていた。東京のあれやこれやの人にケータイでメールを打ってたので退屈しなかった。
告別式その他
翌日土曜日は告別式と納骨。いろんな人と会う。オレが子供の頃にナニのソレのオジサンだのオバサンだの。何しろ今回は全て未経験のことを一通りやらなきゃいけないので、いろいろ勉強になる。此処の田舎の風習なのか、告別式では壇上に向かって10円玉を投げ銭する。また、納骨では骨壷からお骨を出して直接墓の中に入れてしまう。代々の遺骨を一つ墓の中にまとめるということなんだろうか。ふと見ると墓地の後ろの山の中で鴉が蛇を捕らえようとしている。長く触れたことのない、もはや自分には関係のないことだと思っていた土俗や血縁に突然晒されて、少しだけ腹の奥に重いものが溜まる。これら全てはオレの血の中にあるのだろうか。そういえば式場でも「君はF家の顔をしているね。すぐにわかったよ。」と故人の知り合いの方に声を掛けられた。これらの事は俺の中ではまだ整理がついていない。いつかまたどこかでこの感覚は蘇るんだろう。
お別れ
一通り終わり、妹夫婦と近所の露天風呂に行くことにする。今回、妹の旦那と初めて三言以上会話をする。とても無口な男なのだ。ずっとオレ等家族の運転手役をやってくれていた。露天風呂は気持ちがよかった。「北海道は掘れば結構何処でも温泉って出るんですよ」と彼。あまり会話したことのない男だったが、話してみると思った通り朴訥でいい男だった。
夕方、叔父と叔母が帰るのでお別れを言う。
ところで明日の交通路を確認しなければいけない。来た時と一緒な行き当たりばったりというわけにも行くまい。従妹が一緒に車で早朝の函館行きバスの停留所を確認してくれる。「今回会えてよかった。今何やってるんだろうなあ、ってずっと思ってたんですよ」と従妹。20年ぶりだから、彼女の子供の頃の面影しか知らないオレは少し神妙な気分になる。彼女は随分と泣き虫で甘えん坊な子供だったのを覚えている。今は素敵な女性へと成長して結婚もされている。「でも最近仕事がうまく行ってなくて」。そしてそれなりに人生の重みを背負ったりしている。
歳月のことはオレは考えないことにしている。オレはいつも今現在の事しか興味の無い刹那主義者で、自分が歳を取っている事はあまり意識しないし、常に目新しいものばかり追っかけていた。しかし何十年かぶりで逢う人たちは客観的な時間の中で歳をとっており、老いてそしていつか滅びてゆく肉体の中にいる。そしてそれは、本当は、オレも彼らと変わらないんだ、ということでもある。今回は親戚の死にも触れたし、ちょっとだけ真面目に考えたオレだった。すぐ忘れるかもしれないけど。
今回旅してきたこの場所は、実はオレの生まれた場所なんだよ。育ったのは別だけどね。だから、オレ自身のルーツ探しをついついしてしまう。
函館、東京。
日曜日。家族へのお別れの挨拶もそこそこに朝7時半のバスに飛び乗る。本当に今回は飛び乗ってばかりいる。10時頃函館駅へ到着、そこからまたバスで函館空港へ。東京への飛行機の出発は12時半。会社のあいつやあいつの顔を思い浮かべながらお土産を買う。そして会社のあの連中がオレにとっての東京での家族なのかな、とふと思う。
今回の旅ではジミ・ヘンドリクスのウッドストック・ライブをずっと聴いていた。帰りはIVYというギター・バンドの諸作を聴いた。得にApartment Lifeが気分だった。
本はウィリアム・ギブソンの新作を読んでたよ。飛行機で移動のシーンを飛行機で読むと軽いデジャビュに襲われたな。
東京へは3時ごろ着いた。片付けと洗濯をする。現実感覚が戻ってくる。
そして、これが、オレの、先週の出来事の全てです。
(了)