惜しまれつつ世を去った白山宣之の瑞々しい遺作集『地上の記憶』

■地上の記憶 / 白山宣之

地上の記憶 (アクションコミックス)
白山宣之氏の名は漫画界の80年代ニューウェーヴと呼ばれた時期以降に大友克洋氏との活動があったので記憶していた。何作か短編を読んだとは思うのだがタイトルは覚えていない。白山氏のことは自分の中では「大友克洋周辺」という括りだったために失礼ながらそれほど注目はしていなかったし、その白山氏が昨年亡くなられていたことも知らなかった。この『地上の記憶』はその白山氏の遺作集になるのだが、端正な描線の絵を描かれていたこと以外その作風がどんなものか思い出せず、折角だから読んでみようと思い購入してみた。そして読んでみて驚いた。これが近年にない素晴らしい漫画体験だったからだ。収録作品は最も古い昭和54年作「Tropico」から平成15年作「大力伝」まで全5作。寡作だったことで知られ、さらに現行で流通している単行本はこの「地上の記憶」だけだということを考えると、「埋もれたままなのがあまりにも惜しい作家」の秀作の数々を、遺作集という形でしか体験できないことがなにより口惜しい。
作品を見てみよう。「陽子のいる風景」は映画監督・小津安二郎的な手法を徹底的に漫画の中に盛り込んだ作品だ。求婚に心を揺らすある若い女性のありふれた日常が瑞々しくもまた淡々と描かれるが、ドラマらしいドラマなど存在しないにもかかわらず、じっくりと描かれたそのコマ運び一つ一つの緊張感が尋常ではない。登場人物たちの内面を決して独白などで描くことをせず、読者は彼らの心情を会話とコマ運びだけから類推するしかない。説明を徹底的に削ぎ落としたがゆえに、逆にそこからうっすらと立ち上る情緒の美しさが胸をとらえて離さない。非常に文学的であり映画的であり、にもかかわらず漫画だからこそできる表現。この作品集中の白眉だろう。
「ちひろ」は父を亡くし母も病床にある、ある女子高生の夏の一日を描いた物語だ。「陽子のいる風景」の少女版といった作りになっており、これもまた「陽子のいる風景」同様ドラマ性を排した日常の光景だけを淡々と描いてゆく物語だが、やはり端正に積み重ねられてゆくコマ割りの中から浮き上がってくる、不安や孤独や家族への愛情と言った少女の情緒の描写手法が素晴らしい。
一方「Picnic」は雰囲気変わって戦国時代を舞台にした時代掌編。タイトル「Picnic」とはなんの事かというと、とある村の村人たちが小山に上って「関ヶ原の合戦」を物見雄山しながら酒盛りしていた!という唖然とさせられる内容だからである。確かにこの時代、お侍さんたちが死に物狂いで争っていることなど一介の農民にとっては現実味の薄い絵空事のようなものだったのかもしれない。続く「大力伝」も戦国時代を舞台にしたもの。こちらは主人公が勇猛果敢で知られる大名…と見せかけて、男所帯のむさ苦しい大名屋敷に奉公に来た一人の怪力女を中心にして物語が進んでゆく。「Picnic」もそうだったが、よくある戦国時代物語を視点を変えユニークな登場人物にスポットを当て作話する手法が実に面白い。
最後を飾る「Tropico」前後編は現在に戻り、南の島を舞台にヤクザの取引に関わってしまったおっさんたちと謎の女とのドタバタを描く冒険活劇。この短編集の中で最初期の作品ということもあってか絵や物語に粗さがあり、展開もおそろしくギクシャクしているが、逆に波乱万丈な鍵カッコつきの「冒険活劇」を短いページ数でサクッと描こうとしたということなのだろう。お話はカラッと明るくどことなく能天気で、深夜番組のB級アクション映画を観ているかのようだった。
こうして並べてみると実にバラエティ豊かであり、そのそれぞれにこだわりと試行錯誤があり、並々ならぬ力量を感じさせる作品ばかりだった。絶版になっている他の作品集も是非読んでみたいと思わせる作品集である。最後に、多くの漫画家たちに愛され、この作品集にもたくさんの寄せ書きが集められた白山宣之氏に合掌したい。

地上の記憶 (アクションコミックス)

地上の記憶 (アクションコミックス)