■サルヴァトール / ニコラ・ド・クレシー
『天空のビバンドム』のその恐るべき画力と異様な世界観でコミック・ファンを驚嘆させたバンドデシネ作家ニコラ・ド・クレシー、『氷河期』に続く日本邦訳最新作がこの『サルヴァトール』です。
重苦しい『天空のビバンドム』のイメージが強いクレシー作品ですが、この『サルヴァトール』はさにあらず、ゲオルク・ハレンスレーベンの『リサとガスパール』を思わせるような可愛らしい犬くんが主人公となり、人間のように暮らす動物物語なんですね。絵柄も「ビバンドム」のような重層に塗り固められた陰鬱さを感じさせるものではなく、軽やかな描線と明るい色彩で描かれた見やすい絵になっています。しかし安心して読んでいるとそこはニコラ・ド・クレシー、作品のあちこちに不条理感や黒いユーモア、無慈悲な運命の有様が垣間見られ、実はやっぱり一筋縄にはいかない作品に仕上がっているんです。
物語の主人公は犬でありチーズ・フォンデュに一家言持ち自動車整備工でもあるサルヴァトール。彼はかつてマルチーズのジェリーに恋していましたが、ジェリーはある日遠い南米へと旅立ってしまうんです。ジェリーのことが忘れられないサルヴァトールは苦労に苦労を重ねて南米まで行くことのできる水陸両用車を自らの手で組み立てますが、ジェリーの待つ南米への道のりは決して楽なものではなく、道中様々な出来事がサルヴァトールを悩ませ、苦しませるんですね。
しかしこの『サルヴァトール』はもう一つ別の物語が同時に進行します。それはド近眼の雌豚アマンディーヌの、行方不明の我が子探しの物語です。ぶくぶくの肥満体で見た目がちょっとナニな豚のアマンディーヌは、お腹を空かせた12匹の子豚を抱えながら、一匹だけどこかへ行ってしまった娘豚フランソワの行方を捜し続けるんです。サルヴァトールとアマンディーヌは冒頭だけの絡みでその後物語りは別々に進行して行きます。そしてサルヴァトールにしろアマンディーヌにしろ、どこかすっとぼけた小狡さと傲慢さを併せ持ち、この辺のちょっと癖の強い性格の登場人物である部分が、『サルヴァトール』を動物が主人公の単なる可愛らしいだけの物語にしていないんですね。
サルヴァトールやアマンディーヌの脇を固める登場動物たちも個性的で面白い。サルヴァトールに自動車部品をなかなか売ろうとしない牛女や、道中サルヴァトールが横恋慕してしまう美猫とその彼氏のグレートデン、迷子になった子豚フランソワを拾い上げペットとして飼う上流階級猫とその剣呑な資産家の父、さらのその父が雇う蜥蜴の密偵、誰もが主人公に負けず劣らず個性が強い。そしてとても人間的だ。読んでいれば気付くでしょうが、この物語の動物たちは、動物の格好をしているけれどもその行動は人間そのものなんですね。
その中で、サルヴァトールのペットとして相棒として登場するキャラクターがとてつもなく異彩を放っています。これ、なんと「人間」なんですね。そしてこの「人間」、背広を着たチビ・ハゲ・メガネのオッサン姿で、いつもパソコンを弄り、サルヴァトールにはひどく冷淡に扱われ、きつい仕事ばかりさせられますが、愚直にサルヴァトールにくっついてゆくんですね。擬人化された動物たちが闊歩するこの物語ですが、この「人間」は逆に人間の姿をした動物、ということなんでしょうね。この「人間」が実にいい味を出していて、サルヴァトールとの道中を可笑しく盛り上げてゆくんですね。
それと最後に、実はこの物語、まだ未完なんです。本国でもまだ続きは描かれていないようですが、ニコラ・ド・クレシーのもうひとつの魅力を垣間見せたこの物語、ぜひ続きが読みたいものです。
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