最近読んだBD〜『鶏のプラム煮』、『3秒』

■鶏のプラム煮 / マルジャン・サトラビ

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)

鶏のプラム煮 (ShoPro Books)

イランの伝統弦楽器タールの奏者として活躍していたナーセル・アリはなによりも大切にしていたタールを妻に壊され、生きる望みを失った。死を決意してから8日後の彼の死まで、ナーセル・アリの最期の日々が始まる。はたしてタールの音色に秘められた想いとは…?『ペルセポリス』で激動のイラン現代史とともに自らの半生を描き切ったマルジャン・サトラピが、1958年のテヘランを舞台に綴る、可笑しくも、やがて哀しき人生の物語。2005年度アングレーム国際漫画祭最優秀作品賞。

イランで生まれフランスに亡命した作者が、コミックの中である時代のイラン文化を切り取る、というだけでも相当ユニークな作品だ。作者の出世作である『ペルセポリス』(未読)もイランを舞台にしたものだそうだが、知っているようで全然知らない中東の国の生活を垣間見るだけでも十分面白い。そこには自分が見知っているような欧米文化と、何も変わらない部分やとても似通っている部分もあり、そしてこの国独特とも言うべき部分もある。しかし、どんなに生活が違っていようよいまいと、愛や孤独や、幸福や悲しみといった感情は、やはり国家や文化を超えて共感できてしまうのだ。あえていうなら、この物語に登場するイラン人たちの人懐こそうな表情や喜怒哀楽の表し方は、欧米人のそれよりも理解しやすいような気さえしてしまった。物語は、楽器を失って生きる気力をなくし、第1章でさっさ死んでしまった主人公の、その死までの8日間を描いたものなのだけれども、決して暗い物語ではなく、むしろのほほんととぼけていて、おまけに主人公の我儘ぶりの可笑しな物語だったりもする。しかし主人公の本当の絶望の理由が明かされる最後の章で、面白うてやがて悲しき、一つの感傷の物語であったことを描き出すのである。

■3秒 / マルク=アントワーヌ・マチュー

3秒

3秒

3秒―それは光が90万kmを走破する時間であり、銃弾が1kmを駆け抜ける時間。呼吸をするのに必要な時間。涙が零れ落ち、爆発物が爆破し、SMSが送受信される時間。3秒―それは登場人物と手がかりが奇妙にも錯綜する沈黙の謎。飛行機と銃を構えた人物たちとスタジアムの間に、どのような関係があるのだろうか?このパズルを解くのは読者である。3秒―これは紙の本の形式だけでなくデジタル・ヴァージョンでも読むことができる物語だ。ズームを多用した、めくるめくグラフィックで時空をめぐるさまざまな実験を行った野心作。

1ページに正方形のコマが9つ、約70ページ、モノクロ、台詞なし。そして物語は、タイトルが示すようにたった3秒の間に起こったある事件を、まるで微速度撮影の映像のように描き出す。しかもそれは一つの視点から別の視点へ、ズームインとズームアウトを繰り返しながら、短距離を、長距離を、次々と移動し、「この事件を巡る3秒の間に同時に何が起こっていたのか」をあからさまにしてゆく。さらにその視点の移動は、レンズや鏡や水面など、様々な物体の"反射する光の軌跡"として描かれてゆくのだ。物語には一切説明が無く、3秒間の時間の流れの中に映し出される様々な映像の断片を総合して、読者が判断するしかない為に、ある種の「解答の書かれていない推理物語」を読まされているような気になってくる。実に野心的であり、実験的なコミックで、何度も読み返しながら物語を把握するしかない、という部分が面白い。