その日は映画を観ようと相方さんとお昼に待ち合わせしていたのである。映画の前に昼飯食べることになっていたのだが、この日は目に付いた天麩羅屋に入ることにしたのだ。
入るときには空いていたのに、オレら2人と同時に6人の客が入ってしまう。これが後々あだになる。オレは天麩羅A定食800円、相方は天丼700円を注文。店はカウンター席のみで殺風景だが個人経営のいかにも「近所の天麩羅屋」といった庶民的な店構え。店は夫婦で切り回しているらしく、お品書きも丼物4、5種類と天麩羅セットが2つ。ビールは缶ビール、というのも実に「近所の天麩羅屋」といった風情だ。値段はどれも1000円以下だったから、そんなに高くないだろう。面白いのは営業時間が午前10時半だったか11時から午後2時まで。昼間しかやってないのだ。店主はお調子者といった喋りをするおっさんで、時々笑わせてくれる。
しかし悪い店ではなかったが、カウンターに座って、ちょっとまずかったかな、と嫌な予感が頭をよぎる。天麩羅は注文時に揚げるので少々お時間下さい、という貼り紙がしてあったが、問題は、この「少々お時間」を考慮していなかったことだ。しかもオレらカップルと合わせて一緒に入ってきた客が全部で8人。店に入ったのは1時15分頃で、映画の開始が2時。10分で飯が出て10分15分で食って出れば間に合うだろうと思っていたのだが、オレを含む殆どの客が注文した天麩羅定食は天麩羅3品に野菜揚げ4品というもので、揚げる数が多いのだ。店主の手際は別に悪いものではなく、天麩羅を揚げるに適した時間をかけているだけなのだが、なにしろ客が多く品数が多い分をそれぞれ揚げるものだから、思った以上に時間が掛かる。
1時半をまわってもまだ全部揚げきっていない。そして時間は1時40分へ。映画開始まであと20分である。そしてようやくオレと相方の分が出てくる。オレの苛々と苦悩は頂点に達していたが、まあこれは天麩羅屋のせいではない。オレの目算が甘かったのだ。とりあえず味など気にせずかっ込むつもりで天麩羅定食を食う。ところが、これが意外と美味い。オレの苛々と苦悩があっという間に氷解する。そして見た目の量と反比例して、するする食えてしまう。さらに少しも油っこくない。しかも、食い終わった後、まだまだ食えそうな、オレの想像する天麩羅とは全然違うあっさり感がある。この天麩羅が天麩羅業界でどの程度のランクなのかは、天麩羅を食い慣れないオレなどは分からないが、値段を鑑みても、「当たり」の店だったことは間違いない。
飯を食ってなんとなく時間も間に合いそうなので心に余裕が出てくる。しかし面白い店だ。なにしろ、ネタの仕込がきちんとしていない。定食にはキス、海老、イカが入るはずだったが、イカが無くなったらしく、代わりに穴子が入ってきた。こっちのほうが割高なんじゃないのか。しかも1つの筈の海老が2つ。店主ちゃんと計算してるのか。さらに定食の味噌汁が底を付き、椀の半分しか入ってない。店主は申し訳ない申し訳ないと、もう一品揚げます、と言ってくれたのだが、これ以上揚げられたら時間が無いのでこれは丁寧に断った。この仕込みの甘さはうるさい客だとギャアギャア言うのかもしれないが、なにしろ「近所の天麩羅屋」だ。このいい加減な所がなんだか和む。いい加減がいい、という訳ではなくうるさい事を言う必然性を感じさせないなんだか緩い雰囲気なのだ。
オレらと他の客が入ってきた段階でネタも尽きてきたのか、次に入ってきた客が断られる。しかしその後入ってきた客に、「ご飯がもう無いんだ!買ってきなよ!」とか言っている。暫くしてその客がどこかでご飯を買ってきてまた入ろうとしたところ、丁度味噌汁が無くなった事が発覚、今度はなんと「味噌汁が無いんだよ!買ってきてくれよ!」と追い討ちをかける。というかこの客はなんなんだ。店の常連なのか。それにしても酷い扱いだが、横で聞いていて可笑しくてしょうがない。こんなのありかよ。でも可笑しい。
5分ぐらいで天麩羅定食をかっこみ、相方さんが食べ終わるのを待って、さらに余裕あるところを見せようと茶までもう一杯頼む。店を出たのが1時50分、映画館はそんなに遠くないしチケットももうとってあるので間に合うだろう。お勘定を頼むと店主は今日はすいません、とか言って100円割り引いてくれる。ああ本当に緩くていい店だ。食い終わった後も少しももたれないのも気に入った。これはまた来てもいい。いや、時間に追われてがっついた分、次回は余裕を見てゆっくり食いたい。今度また来よう。