ニコラス・ケイジの『ドライブ・アングリー3D』はグラインドハウス映画だった!?

ドライブ・アングリー3D (監督:パトリック・ルシエ 2011年アメリカ映画)


ただ今夏真っ盛りであり毎日景気良く直射日光が絨毯爆撃であり気温はうなぎのぼりとか言ってるけどお前うなぎがのぼってるところなんか見たことあんのかよ?であり脳ミソが有機溶剤でも吸引したかのごとくどろーんぼわーんとなっているのでありお陰で暑い夏と言いたい所をなついあつとか呂律の回らぬ口で言い出しそうになる今日この頃、このただでさえなついあつ、じゃなくて暑い夏をさらに暑苦しくしてくれるありがた迷惑なハリウッド俳優の映画が絶賛日本上陸中である。そう、暑苦しいといえばこのヒト、ニコラス・ケイジさんのアクション映画、『ドライブ・アングリー3D』だ。タイトルにあるように3Dだ。飛び出すのだ。ニコラスさんが。ニコラスさんの馬面が。禿頭が。即ち単に暑苦しいだけではなくそれがさらに飛び出しやがっているわけで、これはもう阿鼻叫喚の地獄絵図、富士のお山に百鬼夜行、朝な夕なに鬼哭啾啾と言わざるを得ない。しかし毒を食らわば皿までもの例えにあるように、暑い時こそ暑苦しいニコラスさんの暑苦しい3Dを観る事こそが、この暑い夏を乗り越えるヒントになるやもしれん、そう思ったオレは(まあホントは全然そんなこと思わなかったが)、意を決して『ドライブ・アングリー3D』を観に行く事にしたわけである。

お話は単純明快。カルト教団に妹を殺され、その幼い娘(ようぢょ)をさらわれたニコラス君が、復讐とようぢょ奪還の為立ち上がる!といったもの。そこにたまたまニコラス君と知り合い追跡行を共にしてしまうエロいオネーサン(アンバー・ハード)、FBIを名乗るけどどう見たって怪しいスーツのおっさん(ウィリアム・フィクトナー)が絡んでゆくのである。冒頭から銃撃ちまくり車壊しまくり人虐殺しまくり、そしてニコラス君眉間に皺寄せ大見得切りまくり、といったどこにでも転がってそうな実に安いアクション映画展開で、しかもそれがわざわざ飛び出しているもんだからさらに始末におえないのである。しかしだ。なんだかこの安さ、観ていて嫌いになれないのだ。マッチョぶるニコラス君は相変わらず可笑しいが、ニコラス映画を長年観てきた者からすれば、どんな秀作だろうが駄作だろうが、最終的には全てニコラス色に染めてしまう、そんなニコラス君の独特な臭みがすっかり癖になってしまっているのだ。スパイスに例えるならニコラス君はカレーだ。例えどんな具材を使っていても、カレーパウダーを一振りすれば、「要するにカレー味の料理」と全てが統一されてしまう、そんな男なのだ、ニコラス君は。

なにしろ冒頭から残虐シーンてんこ盛りだ。もう切り株なんかは当たり前、後半に行くほどもう小気味いいぐらいぶち殺しまくってくれる。そういえばこの映画の監督、『ブラッディ・バレンタイン3D』を撮った監督だったのだ。ホラー監督のセンスが程よく生きた、実にシニカルな味わいのある虐殺三昧なのだ。しかも3Dなので肉体の一部を含むいろんなものが飛び出してくれて実に楽しい。3D映画というのはとかく好き嫌いが分かれるものだが、この映画のように見世物に徹した3Dは、安いからこそ逆に楽しいともいえる。少なくともこの『ドライブ・アングリー3D』の3Dは成功していると思う。そして序盤の見所はなんと言っても【片手にバーボン、片手に銃、口には葉巻、そしてウェイトレスとベッドでハメハメした状態での華麗なる銃撃戦(当然スローモーション)】だ!この馬鹿馬鹿しいアクションシーンを目撃するだけでもこの映画を観る価値があるといってもいい。きっとアクション映画史においてあまりにアホ過ぎる迷シーンとして長く語り継がれることだろう。まあ語り継がれなくても別にいいけど。

しかもこの映画、物語が進んでゆくと、単なるアクション映画ではないことが段々分かってくる。ニコラス君はハリー・ポッターにでも出てきそうな怪しげな形の銃を携帯しているし、ニコラス君を執拗に追う自称FBIのウィリアム・フィクトナーさんは異様な素早さとパワーを振るってチンピラを叩きのめしたりして、どう見ても普通の人間ではないのである。そう、実はこの映画、オカルト入っちゃってるのである。最初はアクション映画に見せかけつつ、天国とか地獄とか神とか悪魔とかがウンチャラカンチャラ、といった感じの物語へと変貌してゆくのである。多分ニコラス君、この辺の展開を気に入って映画出演を決めたのではないかとオレは密かに睨んでいる。とはいえ、今時天国と地獄…料理の仕方もあるだろうが、やっぱり安い。この安いオカルト展開で映画のB級臭はなお一層めくるめくまでに濃厚になってゆくのである。しかしニコラス君は、物語がB級になればなるほど輝く俳優なのである。安いアクションでマッチョを気取り、安いオカルトでオタ振りを気取り、安い3Dで時流に乗った自分を気取る。しかしその安さが、逆にあたかもグラインドハウス映画を思わすようなビザールな味わいと臭みを醸し出してくれているのだ。そのなかで水を得た魚のように生き生きと演技するニコラス君のその輝きは、決して後退した生え際が発する光のせいだけではないのである。