ボルヘスの『伝奇集』を読んでみた

■伝奇集/ J.L.ボルヘス

夢と現実のあわいに浮び上がる「迷宮」としての世界を描いて現代文学の最先端に位置するボルヘス(一八九九―一九八六).われわれ人間の生とは,他者の夢見ている幻に過ぎないのではないかと疑う「円環の廃墟」,宇宙の隠喩である図書館の物語「バベルの図書館」など,東西古今の神話や哲学を題材として精緻に織りなされた魅惑の短篇集

実はボルヘスを読むのは始めてだったりする。そもそもこの『伝奇集』は随分前に手に取っていたのだが、なんだかあまりに取っ付き難くて挫折していたのだ。だがここ最近自分の中でラテンアメリカ文学をまとめ読みしちゃおう!という原因不明のマイブームが起きたついでに再挑戦してみたのである。そしたらアラ不思議、取っ付き難いと思っていた『伝奇集』がスルスル…とはいかないけどかなり面白く読めてしまったではないか。

読んでみて思ったのは、とかく難解でペダンチックな作家として扱われがちなボルヘスだが、確かにペダンチックではあるけれどもそれはお遊びの一つとして捉えると割とスルスル読めるということだ。確かに晦渋ではあるが決して読解不能ということはない。聞いたことのない人名・作家名・書籍名が山のように出てくるが、それが分からないからと言って作品が読めなくなることもない。途中からは脚注も飛ばして読んだ。オレ的には、あれらの固有名詞は「大昔のなんか物々しい人とか本」というざっくりした認識で済ませた。言ってみればボルヘスだからと構えることなどせずに大雑把な楽しみ方をしたというわけだ。

もうひとつ思ったのは、大昔ちょびっとSF者だったオレ(今は全然SF者じゃないです)から見ると、ボルヘスってスタニスワフ・レムに似てるなあ、ってことだ。博学で求道的だし、晦渋で読み難いが細かいことをきっちり書きたがるし、形而上的で深遠なテーマをはったり抜きで描く、なんてところもレムっぽい。それとか、『伝奇集』に収められた何作かの”架空の書籍の評論”というアプローチは、レムが『完全な真空』でやった同工のアプローチと通じている。そういった意味でレムがSF小説でやったことを、ボルヘスは奇想文学の中でやろうとしたんじゃないかと思うのだ。

この『伝奇集』は「第I部 八岐の園(1941年)」と「第II部 工匠集(1944年)」の2部構成になっており、合わせて17編の短編が収められている。この間までラテンアメリカ文学を何冊か読んで気づいたのは、ラテンアメリカ文学とは、ラテンアメリカの古の文明と血生臭い歴史性を父に、ヨーロッパの近代的な知性を母に持つ文学だということだった。言ってみればそれは混血-クレオール-の文学であり、両極性の要素がせめぎ合う"分裂症的な"文学であるということだ。この『伝奇集』でも、「第I部 八岐の園」は非常にヨーロッパ的な思弁性に溢れ、「第II部 工匠集(1944年)」はラテンアメリカ的な土と血の匂いが漂い、その対比を楽しみながら読むのも面白いだろう。

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幾つか内容を紹介。まずは「第I部 八岐の園」、この第I部は書物蒐集狂、蔵書狂の方が狂喜乱舞しそうな本にまつわる物語が多い。
「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」は書物の中に架空の世界を微に入り細に入り構築するとある結社の物語。「観念が現実を侵食する」というテーマはクローネンバーグを彷彿させる。
「『ドン・キホーテ』の著者 ピエール・メナール」は「セルバンテスになりきってもう一度『ドン・キホーテ』を著作する」というなんとも説明し難いナンセンスで奇妙な可笑し味のこもった話。
「円環の廃墟」は夢を見続けることで一人の人間を構築し現実に表出させようとする魔術師の話。クリストファー・ノーランが映画『インセプション』のヒントにした、という曰く付きの作品なのでノーラン・ファンの方はちょっと読んでみる価値があるかも。
バビロニアのくじ」は籤で国民全ての運命を逐一決定していたというというバビロニアの国のお話。これを未来のお話にするとP・K・ディック的な不条理SFになるというわけだ。
「ハーバート・クエインの作品の検討」、これってグレッグ・イーガン量子論的多次元宇宙論SFじゃん!
「バベルの図書館」は無限に書物が収められた無限に続く図書館の話。そこにある本は1冊毎に文字のあらゆる順列組み合わせが為されているので、そこに存在しない物語や記録は無いのだ。
「八岐の園」も書物の上での観念が現実を侵食してゆく話だ。

迷宮的な技巧の凝らされた第I部に比べ「第II部工匠集」はどちらかというと文学的であり幾つかは血生臭い物語が並ぶ。そしてラテンアメリカの土と歴史の匂いが濃厚だ。
「記憶の人・フネス」サヴァン症候群の男が登場するが、ボルヘスが描くととたんに魔術的な物語と化す。
「刀の形」「隠れた奇跡」「裏切り者と英雄のテーマ」は戦争と陰謀と革命の血の匂いが漂うが、ここでもボルヘス的な”ねじれ”が加味され、ふっと現実感覚の遠のく奇妙で奇怪な物語として完成している。
「死とコンパス」はいわゆる形而上的ミステリ。ミステリ・ファンが読んだほうが面白さがより伝わるかも。
「南部」はこの作品集の中で最ものどかな情景描写が心休まるが、後半それが一転…という物語。都会と田舎、秩序と無秩序の対比はラテンアメリカの分裂したアイデンティティともとれ、死と暴力の暗く膿んだ熱気が全てを闇の中へ陥らせてゆくショッキングなラストはラテンアメリカの歴史の中に脈打つ暴力性を揶揄してるかのようだ。この作品集の中でもかなり異質であると同時にエモーショナルな作品であり、逆に『伝奇集』以外のボルヘス作品はこういった傾向の作品もあったりするのかな、と思わせた。