運命に翻弄され革命の混乱を生きる男の物語〜『イビクス――ネヴローゾフの数奇な運命」【BDコレクション】

■イビクス――ネヴローゾフの数奇な運命 / パスカル・ラバテ

イビクス――ネヴローゾフの数奇な運命 (BDコレクション)

イビクス――ネヴローゾフの数奇な運命 (BDコレクション)

アレクセイ・トルストイ原作。ジプシーの女占い師に、自分の出世とひき換えに世界の破滅を宣告された会計士シメオン・ネヴゾーロフ。不吉なさだめ“イビクス”の徴しのもと、ネヴゾーロフは得体の知れない登場人物たちと出会いながら、ペトログラード、モスクワ、ハリコフ、オデッサイスタンブールへと漂浪してゆく。混迷するロシア革命を背景に、しぶとく生き延びるネヴゾーロフの道行きを、悪夢のような幻想的筆致で描いたバンドデシネ作品。

まるでカマキリのような長身痩躯で細おもて、伊達者を印象付けるスーツとヘアスタイル、口の周りと尖った顎をぐるりと髭で覆い、抜け目無さそうな小さな目で常にあたりをキョロキョロうかがう男、シメオン・ネヴゾーロフ。彼はロシア革命の激震に揺れるペトログラードを逃げ出し、戦火と略奪と貧困と秘密警察による密殺が横行する東欧の国々を、ジプシー女占い師の告げた予言の運命に弄ばれながら駆け抜ける。
女占い師の告げたネヴゾーロフの運命、それは「人が殺しあえば殺しあうほどあんたは金持ちになる」というもの。予言が当たったのかそれともたまたまなのか、ネヴゾーロフは逃亡した町々で怪しげな連中と怪しげな商売を興し、小銭を稼いでは懐を肥やすが、戦争の惨状は常に彼の尻に追いつき、破壊と殺戮のあとまた彼は無一文になって別の町を目指す…。激動の歴史の中、薄汚く、しぶとく、ゴキブリのように鼻持ちならない男、ネヴゾーロフの数奇な半生を描いたのがこの『イビクス』だ。
ピカレスク・ロマンなんて言葉があるが、このネヴゾーロフに限っては"悪漢"というよりもひたすらにしょうもない小者であり、小悪党ですらないセコさ、ケチ臭さを全身から存分に漂わせている男なのだ。そんな彼に勿論大義だの理想だのがあるわけがない。彼にあるのは、美味い話があれば誰よりも先に飛びつくこと、そしてどんなにセコかろうが生き延びること、ただそれだけだ。しかし、彼の生きた混乱の時代は、生きること、生き延びることそれ自体が困難なものだった。彼の訪れる様々な町のそこここに溢れかえる死と暴力、何が正しく、何がそうではないのかが曖昧な政情の中で、実は"生きる"ことそれ自体が最も重要なことだったのだ。
ただ、そんなこすからいネヴゾーロフでさえ、情を交わした女には未練たらたらで、かつての商売仲間には心を開く。計算高いように見えて決して薄情な男というわけでもないのだ。そんななけなしの人間性が逆にネヴゾーロフに奇妙な魅力をもたらす。たとえ虫けらのようであっても、ゴキブリのようであっても、とにかく生き延びること。そのモラルの無さ、節操の無い生き様が、逆に"生きる"ことそれ自体の重要さを強烈に炙り出す。こうしてバンドデシネ作品『イビクス』は、当時の混迷する東欧の姿を浮き彫りにすると同時に、その渦に翻弄されながらも、小石の下の虫けらのように小さくせこく生き延び続けた男の人生を描いてゆくのだ。