最近読んだコミック〜『キック・アス』とか『アイアムアヒーロー』とか

キック・アス / マーク・ミラー、ジョン・ロミータJr.、光岡三ツ子

キック・アス (ShoPro Books)

キック・アス (ShoPro Books)

この暮れ映画で話題沸騰の『キック・アス』原作コミックである。作者マーク・ミラーアンジェリーナ・ジョリーで映画化された『ウォンテッド』も手がけていたのらしい。解説によると原作自体は2009年から2010年にかけて描かれたもので、第1話発売前から映画化が決定し、原作コミックと並行して脚本作りが成されたのだという。発売は米大手コミック出版社マーベル・コミックス傘下のアイコンというレーベルで、作者の創作の自由を第一に打ち出し、そのせいでこれまでのヒーローコミックスではあまり見られなかったゴア表現も可能になったのだという。
コミックファンが自らもコミックヒーローになるというこの物語、それを映画で観るのとコミックで読むのとでは微妙にニュアンスが違ってくる。コミックで読むとき、おのずとコミックを読む者(コミックファン)自身の願望を見透かし、そしてそれを皮肉った物語として読めてしまう。ヒーローに憧れる君にこんなにボロボロになる覚悟はあるのかい、といった具合に。そして読むものは主人公と同じように苦痛を味わい、それを乗り越えた最後の勝利歓喜することが出来るのだ。
さらにこのコミックが映画と大きく異なるところ、それはビッグダデイの戦いの動機の部分であるだろう。映画では主人公キックアスはしょーもない動機で生まれたヒーローだがビッグダディには復讐という動機があったというふうに描かれるけれども、コミックではビッグダディもまたキックアスと同じようなしょーもない動機でヒーローごっこをしていた情けない大人だったという事が明らかになるのだ。即ち、キックアスにしろビッグダディにしろ、結局は戦う必要の無い戦いを自ら買って出て痛い目に遭い傷だらけになるという、単なる愚か者でしかないことになってしまうのだ。
しかしここでヒットガールの存在に意味が出てくる。ヒットガールは逆にもともと戦う理由がないにもかかわらず父の言うがままに戦っていたのだけれども、結局は最後の戦いにおいて、戦う為の正当な理由が生まれてしまうのだ。大人たちのヒーローごっこという無意味なはずの戦いに一人意味を持たされて戦う少女ヒットガール。つまりヒーローになりたかった者が結局ヒーローになりきれず、そうでなかった者がヒーローになってしまうのだ。「普通の人間がヒーローになるとはどういう事か?」を描いたコミック版『キック・アス』は、実はこういった皮肉の込められた物語だったのではないだろうか。

アイアムアヒーロー(5) / 花沢健吾

アイアムアヒーロー 5 (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー 5 (ビッグコミックス)

出ました、ゾンビ・パニック・ドラマ『アイアムアヒーロー』の第5巻!またもや新たな展開で息を付く暇を与えない。今回は生き残った多数の住民たちと合流し、そこでまた予想通りのパニック&地獄展開!富士山中腹で主人公たちが見下ろす黒煙を上げる町々の情景がこれまで以上に静かに終末感を盛り上げる。そして後半、あああああ…ついに…作者やっちゃたよ…酷いよ…酷すぎるよ…。

聖☆おにいさん(6) / 中村光

聖☆おにいさん(6) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(6) (モーニング KC)

クリスマス時期を狙って発売された(?)『聖☆おにいさん』の第6巻。クリスマス時期だけど内容はハロウィンネタ、とツィッターで誰かが言っていたとかいないとか。しかしここ最近の巻はネタが苦しくなってきたというか分かり難いものが増えてきたような気がするなー。ジーザス&ブッダネタの有名所はほぼやっちゃったからだろうなー。正直この巻から読み始めたらつまんないかもしれない。やはりこのへんは新キャラ入れてテコ入れとか。とするとマホメット君あたりを…。