ディファレンス・エンジン / ウィリアム・ギブソン&ブルース・スターリング

ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ディファレンス・エンジン〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

ディファレンス・エンジン〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ディファレンス・エンジン〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

そこは、人々が蒸気タイプライターで執筆し、蒸気映像(キノトロープ)を鑑賞し、蒸気自動車を乗り回し、蒸気クレジット・サービスを活用し、はては蒸気コンピュータ・ハッカー(クラッカー)作成するところの蒸気コンピューター・ウィルスさえ跳梁する幻想の大英帝国
そこは、ロマン派詩人バイロン卿がウェリントン公率いるトーリー派を打破し、産業ラディカル党党首として新首相の座につくいっぽう、バイロンの娘でバベッジの弟子エイダが「エンジンの女王」かつ「ファッションの女王」とも呼ばれるカリスマ的存在となり蒸気機関文明推進の政治力を発揮していた幻想のヴィクトリア朝。(解説より)

ギブソンスターリングのスチーム・パンクSF『ディファレンス・エンジン』、やっと読んだ。この「やっと」というのが実は相当な「やっと」なのである。上に載っけてるAmazonの書影はハヤカワ文庫版のものだが、実際読んだのは角川書店出版のハードカバー版なのである。なんでわざわざこんなことを書くかというと、実はこの角川書店版、1991年に出版されたのだが、オレはこれを発売されてすぐに購入していたのなのだ。しかし第1章まで読んだがどうにもノレず、本棚にほっぽらかしになったままにしていたのだ。そしてそれをつい最近、なんと20年あまり経ってから手に取り読了したのである。この恐るべき積ん読…。というかよくとっておいたよオレ…。そういった意味での「やっと」なのである。
でまあ感想なのだが、20年前に第1章だけ読んで「取っ付き難いなあ」と思った文体はやっぱり取っ付き難く、「あんまり面白くないなあ」と思った内容はやっぱりあんまり面白くなかった。実のところ、オレはギブソンスターリングも好きな作家だし、訳出されている作品は殆ど読んでいるのだが、この作品だけは第一印象と変わらず好きじゃなかったなあ。というか、ギブソンスターリングの、オレの嫌いな部分が合体してしまったような作品に思えてしまった。
例えばギブソンなどは、"電脳3部作"を出していた頃は時代の寵児のような扱いだったし、実際面白い作品を書いていたのだけれども、その後の作品は近未来の風俗描写ばかりに固執して物語的なダイナミズムに欠ける晦渋な作品ばかりだった。ストーリーの無いイメージフィルムを見せられているようなもので、それが5分ぐらいの長さだったら興味も持続するが、それを延々2時間3時間見せられるのはやはり苦痛になってしまう。この『ディファレンス・エンジン』でも、"蒸気機関文明"の織り成す個々のガジェットや改変された歴史の風俗の描写には力が入っているが、肝心の物語には少しも興味が持てず仕舞いだった。それとやはり3点リードや非過去形が頻繁に使われる文章はどうにも読み難い。
結局、この時代の実際のロンドンや世界の歴史風俗がしっかり頭に入っているほうが物語の"ディファレンス"さを読み取れたのだろうし、また、産業革命とはなんだったのかを知っておいたほうが作品の含みとするものも理解できたのだろう。オレはどうもそういうのが弱いので、楽しめなかった、という部分もあるかもしれない。非常に好きな作家の合作作品だっただけに、ちょっと残念だった。