24x3=48

9月9日、今日でオレは48になるのである。いやいや、AKB48ではない。フモさん48歳の誕生日なのである。アイドルグループAKB48と違ってFUMO48は全身白塗りの暗黒舞踏をクネクネと怪しく踊りながら悪魔の如きダミ声で狂ったように「元祖天才バカボン」エンディングの替え歌をシャウトしまくるのである。「♪48歳の秋だかぁ〜らぁ〜」

48歳、というのは「桑寿」とか「桑年」とも言うらしい。「桑という字の異字体が、四つの十と八に分けられることから四十八歳を指す」ことからきているという話だ。しかし「桑年」ってなんだか蚕にモシャモシャ食われてる絵面が浮かんできてどうもいい気がしない。
ちなみに孔子はこんな事を言っていたらしい。

孔子は言います。
私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。
三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。
四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。
五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。
と。
論語 〔為政第二〕』

40を過ぎ不惑の年齢を超え50に近くなってきたら今度はそろそろ己の天命を自覚しなければならないのらしい。しかしそれは若い時にきちんと学問をやっていて、しかも独り立ちができての話である。学問…オレの知識といえばバカ映画とホラーの中途半端なうろ覚えぐらいである。オレが世間に誇れるのは今までの人生で食ったピザの枚数ぐらいだ。20代の頃から毎週毎週週末になるとピザばっかり食ってるオレは多分今まで1000枚以上のピザを食っているに違いない。オレの人生の誇り、それは今まで食い続けてきた1000枚のピザ。…う〜ん…どうしてこうなった…。そんなオレが天命などとはおこがましいことである。いや、ピザ食いを極める事が天命なのか?そうか?そうなのか?そして今日も誕生日だからということでピザを食うのか?いや全然悪い気はしないが、かといって納得できないことも確かなのである。

45過ぎたあたりから「あとはどんどん衰えてゆくだけなんだろうなー」と思っていたが、確かにその通りであり、もはやヨボヨボのジジイに限りなく近いありさまである。通俗的に衰えの兆しと呼ばれている目、歯、チョメチョメなどは今や全てにおいて壊滅的である。焦土、と言ってもいい。ただ、まだ腰をやっていないのだけがせめてもの幸いである。あととりあえず髪の毛が残っている。しかしこれもおいおい衰退の一歩を辿るのであろう。それよりも最近朝起きれなくなってきた。以前まではどんなに夜更かししても朝はバッチリ目が覚めていたものだが、今週などはなんと2回も遅刻ギリギリであった。もうホント無理が効かなくなってきているのである。

知力もどんどん衰えて行っている。いや、50歳60歳でも明晰な頭をした人はいるが、それは若かりし頃から明晰な頭脳をしていた人たちなのである。常人が平均的に70の知力を持っているとして、頭脳明晰な人たちは若かりし頃から100の知力を兼ね備えているのである。そしてその人たちは歳衰えたとしても80ぐらいの知力がまだ現存しているのである。歳取っても常人以上に頭脳明晰なわけである。その点オレはそもそもが50ぐらいの知力から始まっているため、衰えきった今は多分知力30ぐらいである。もはや原生生物の域である。

しかしそれにしてもダラダラどうでもいいことばかり書いているが、そもそも誕生日を迎えてもたいした感慨がないのである。歳をとって感じること、それはどんどんといろんなものが「どうでもよくなってくる」ことだ。もうちょっとちゃん説明すると「そういうのは昔自分の中で折り合いをつけたものだからいまさら蒸し返したくない」と感じてしまうのだ。だからいちいち気にしたり気にかけたりしないし関わらないし興味も持たなくなってくるのだ。もはやワカモノたちが言っていることには興味が沸かないしネット眺めても実はよく分かってないし社会とも関わらないからすっかり取り残されている。歳を取って気になるのはあとどれだけ波風立てず会社にしがみついていられるかということと己の健康状態と貯金残高と老後だけである。すまない。夢のないしょぼい老人なのだ。

索漠とした文章になってきた。そもそもこんなに長く書くはずじゃなかった。しかし、付け足しのように思われるだろうが、オレは自分の人生を憎んでも嫌っても疎ましく思ってもいない。たいしたものでもないが、多分、これぐらいが、身の程なのだろう。いつもいつも、というわけでもないのだけれども、時々は、結構、楽しく過ごしていることがある。そして、何かの間違いなのかもしれないけれども、自分は幸福かもしれない、と思うこともある。そんな、オレを時々幸福にしてくれる、音楽や物語などの様々なものや、それから愛する人のお蔭で、自分がこうしてまたなんとか生き永らえたことを感謝しておきたい。みんな、いつもいつも、本当にありがとう。