『第9地区』は「ヒャッハー!!」なSF映画だった!?

第9地区 (監督:ニール・ブロムカンプ 2009年アメリカ・南アフリカニュージーランド映画)

ヨハネスブルグガイドライン

ヤヴァイぜヤヴァイぜヤヴァくて死ぬぜ!今、ヨハネスブルグがヤヴァイんだぜッ!?

○ヨハネスブルグのガイドライン
・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた
・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた
・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた
・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた
・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する
・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた
・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。
・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった
・女性の1/3がレイプ経験者。しかも処女交配がHIVを治すという都市伝説から「赤子ほど危ない」
・「そんな危険なわけがない」といって出て行った旅行者が5分後血まみれで戻ってきた
・「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った旅行者が靴と服を盗まれ下着で戻ってきた
・最近流行っている犯罪は「石強盗」 石を手に持って旅行者に殴りかかるから
・中心駅から半径200mは強盗にあう確率が150%。一度襲われてまた襲われる確率が50%の意味
ヨハネスブルグにおける殺人事件による死亡者は1日平均120人、うち約20人が外国人旅行者。

どこまでも『ヒャッハー!!』な都市ヨハネスブルグ命が幾つあったって足りないヨハネスブルグ!そしてここに新たなガイドライン項目が追加された!

・キモいエイリアンが住んでる。

ゲロゲロな汁を垂らしたゲロゲロなエイリアンが住むどこまでもコワイ街ヨハネスブルグ!そう、この『第9地区』はそんなヤヴァすぎるヒャッハー!な街ヨハネスブルグで起こったエイリアン騒動を描いた映画なんだ!?

ヨハネスブルグは燃えている!

何らかの理由でヨハネスブルグ上空に立ち往生した巨大宇宙船の中にいた異星人が難民としてスラム街に住まわされ、そこである事件が起こり…というこの『第9地区』、様々な含蓄が満載の実に想像力溢れる傑作SF映画であった。『インディペンデンス・デイ』、『エイリアン・ネイション』、SFTVドラマ『V』を連想させる出だしから始まるこの物語は、次第に『ザ・フライ』的な奇怪な展開を見せながら、『第5惑星』の如き人類・異星人の友愛の可否が語られ、クライマックスではブラックホーク・ダウン』ミーツ『ロボコップ(もしくは『スターシップ・トゥルーパーズ3』)とでもいうような血沸き肉躍る大規模戦闘へと発展してゆくのだ。

そういったエンターティメント要素に加え、"アパルトヘイトの街・ヨハネスブルグ"というロケーションがまた物語に様々な膨らみを持たせる。被差別者たちにさらに差別される異星人、という構図はSFメタファーとしていくらでも言及可能なものであるが、いやまて、あそこまで奇怪な姿のエイリアンだったら差別の一つもしたくなるよ!などとヤヴァイ心情の一つも沸いてしまう。「鯨は知性ある生き物だから捕鯨いくない」と言っているグリーンピースよろしく「いくらキモクても知性ある生命体を虐げちゃ駄目だ!」という道徳倫理はいくらでもほざけるが、ちょっと考えてみてくれ、ゴキブリが知性を持って「人類と同等の扱いを!」とか言い出したときにゴキブリを愛すことができるか?そしてゴキブリだから叩き潰せ!と言ってしまうのは単なるレイシストなのか?あともしあのエビだかなんだかが茹でて食すと世界一の珍味だ、と判ったら、ちょっと食ってみたくならないか?などとかなり恐ろしいことを考えながら観てしまったオレである。

ゴキブリは人類ではないから叩き殺していい、としよう。しかしレイシズムとは、異人種というものはゴキブリのようなものだから人類と同等ではないので叩き殺しても良いという、歪んだ論理だ。多少の知性と倫理を持ち合わせている者なら、人種や肌の色や国籍で人を差別することが間違っているというのは当たり前のこととして判るだろうが、本当にあのゴキブリが、知性と理性を持って人類の前に現れた、としたら、それでも、人類の持つ知性やら倫理とやらは、それまでの「忌まわしく汚らしくおぞましいゴキブリ」という観念をあっさりとかなぐり捨て、「知性あるもの同士、友愛を築きましょう!」と言えるのか?ということだ。オレなら多分、いくら頭で理解しても、心の中では勘弁してくれ、と思ってしまうだろう。しかし、それは道理でいうなら、やはり差別行為なのだ。しかしこの映画はさらに突っ込んで、「じゃあ、そんなお前がゴキブリになったらどうするよ?」という意地の悪い問いかけをしてくるのだ。SF、というのは、そういった極端な状況を作り出し、人の価値観を揺さぶる、という、実に優れたジャンルなのだ。SF小説の最高傑作として名高いA・C・クラークの『幼年期の終り』は地球を平和に統治する高度な知性を持つ異星人の姿かたちが実は○○そっくりだった!というキリスト教圏の白人には悪夢のようなジレンマをもたらす小説として有名だが、この映画『第9地区』は、ゴキブリそっくりだけど知性がある生物は愛すべきなのか、というジレンマをもたらす映画であるとも言えるのだ。

ヨハネスブルグ上空こんにちは!

そしてなにしろこの『第9地区』、《南アフリカの都市ヨハネスブルグのスラム街上空に浮かぶ巨大宇宙船》というヴィジュアル・イメージのインパクトだけですでに「勝った」と言っていい映画だろう。

アメリカやヨーロッパの白人が住む大都市の上空に巨大UFOが浮かぶのではなく、貧しい黒人たちが住み人種差別政策の存在するアフリカの一都市と異星の巨大宇宙船、という組み合わせだけでもメチャクチャ想像力が刺激されるではないか。なぜならキリスト教圏である白人都市の上空に浮かぶUFOは露骨に黙示録の暗喩だが、これはそれとは別の異質な"何か"を孕んでいるのを予期させるからだ。全ての物語はこのヴィジュアル・イメージから連想されるものを想像力を膨らませ尾ひれを付けたものだと思っていい。物語全体を見渡すと突っ込み所もアラも結構目立つし、結末も食い足り無さが残るのだが、最初のビジュアル・イメージの持つ圧倒的な異様さだけで全て一点突破し、見終わった後には「なんだか凄いものを観させてもらった」という興奮が残る秀逸な作品であることは間違いない。

もちろんこのイメージの秀逸さだけではなく、映画『第9地区』は「今までに無い新しいSF映画を撮りたい」という新人監督ならではの熱い心意気が伝わってくる映画でもあるのだ。ピーター・ジャクソンに惚れ込まれた才能、という話は周知のことだろうし、この熱さゆえに多少の粗さ、拙さも大目に見る気になるではないか。監督ニール・ブロムカンプはVFXアーチスト、CM監督などを経ての抜擢だと言うことらしいが、この才能が今後どのように開花するかが楽しみな監督である。

■『Alive in Jo'burg』

ちなみにこの『第9地区』は監督ニール・ブロムカンプ自身のショート・フィルム『Alive in Jo'burg』をもとに製作されたらしい。その『Alive in Jo'burg』がYouTubeに挙がっているので参考までに貼っておこう。

第9地区 予告編