■チェンジリング (監督:クリント・イーストウッド 2008年アメリカ映画)
自分の息子が行方不明になったもんだから警察に届けたんだが、数ヵ月後警察が見つけて連れてきた子が別人だったのである。当然母親は警察に抗議するのだが。
「あのこの子私の子じゃ全然無いんですけど」
「行方不明になってる間に顔つき変わったんだよ!そーゆーこともあるよ!」
「んー…そう言われても違うものは違うし」
「だから顔が変わったんだって言ってんじゃねえかよ!」
「いやでも私の子じゃないですよこれ」
「なんだテメー、ケーサツのやることに文句あるっつーのか!?オレの顔潰したいっつーのかよ!?」
「いやいやそういうつもりじゃなくて単に私の子じゃないと…」
「テメー頭おかしいんじゃねーのか!?テメーのようなキチガイはアブネーからセーシン病院送りだ!」
「はあ!?」
「おーいこのキチガイ女連れてけ!病院に閉じ込めとけ!」
「いやあああああああ!!!」
…という物語である。
なんというか凄まじい話である。子供が行方不明になり、間違った子供を押し付けられ、警察に訴えたら精神病院送りされるという前半の展開などは殆ど不条理劇だ。あまりのシュールさにゲラゲラ笑ってしまったぐらいである。人はあまりに非現実的なことに直面すると思わず笑ってしまうもんなのである。しかも本当に恐ろしいのは、なんとこれが実話だという事だ。この映画はアメリカ・ロサンゼルスで1928年に起こった事件を描いたものだということだが、当時の警察の親方日の丸的な横暴と腐敗がこんな事態を招いた原因なのらしい。もしもこの映画を子供のいる母親が観たら卒倒してしまうかもしれない。
まあ実際の所、いくら酷いものだとはいえ、80年以上前のアメリカの官憲のだらしなさを現代の日本に住む自分が見せられても特に深い感想は無いとはいえる。勿論この映画には現代においてもこういう政府機関の横暴はあるんですよ、というメッセージが込められているのだろうけれども、むしろオレはこのあまりにもあまりな狂いっぷりを正面切って描いた映画的手腕にこそ感嘆する。
しかしこの映画はこれだけでは終わらないのだ。後半はそんな警察の腐敗ぶりを徹底的に追及するパートと、本当の子供はいったいどうなったのか?を突き止めてゆくパートが進行してゆく。この後半の展開にも目を見張るものがあり、精神病院のくだりや子供の捜索は殆どホラー映画的な様相を呈していく一方、官憲への追求は「正義は貫き通すべきものなのだ」という確固たるメッセージに溢れ、一つの映画の中に様々な要素が混在しているのである。なにしろこの映画は、不条理劇でありホラーであり正義についての映画であり、そして親子の情愛についての映画でもあるのだ。
そしてそれらの要素がきっちりと一つにまとまって破綻無く物語られるところが凄い。なにより驚いたのはこれらの事件と事実を、誇張したりハッタリめかしたりすることなく、きっちりとした演出で全て観客に見せた監督クリント・イーストウッドの手腕だろう。なにしろ「ここまで描くのか」と思ったぐらいである。『グラン・トリノ』も傑作だったがこの映画もまた凄い。クリント・イーストウッド恐るべしである。
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