■グラン・トリノ (監督:クリント・イーストウッド 2008年アメリカ映画)
■清志郎の死、松田優作の死
忌野清志郎さんが亡くなられた。06年に発見された喉頭癌の治療を続けながら、08年には日本武道館で復帰コンサートを開いたが、その時のインタビューで自らの病の状況については口調を曖昧にしていたのを読んだとき、オレは「この人は完治よりもまず、歌い続けることを選んだのではないか」と思ったのだ。清志郎は、ベッドの中での死よりもロックンロールしながら死ぬことを選んだのではないか。彼はその死に場所を、ステージの中に見出したのではないか。そしてその時思い出したのは、俳優の松田優作の死である。彼は膀胱癌が発見されつつも、ハリウッドからオファーされた『ブラック・レイン』への出演を強行した。抗癌剤を投与しつつの演技だったと聞く。映画の出演が無ければ、彼の命はもっと永らえていたかもしれない。しかし、松田優作は、俳優として死ぬことを選んだのだという気がしてならない。彼は、映画のスクリーンを、自らの死に場所として選んだのだ。
クリント・イーストウッド主演、『グラン・トリノ』は、こんな、「死に場所」をめぐる物語である。
■デトロイト、過去の栄光、ゲットーと化した現在
映画の舞台はアメリカ、デトロイトである。デトロイトという街については、オレがデトロイト・テクノという音楽ジャンルが好きだったせいで、昔ちょっと調べたことがある。1901年にフォード自動車が設立されたデトロイトは、世界初のオートメーション方式導入によりアメリカでも有数の工業都市として飛躍するが、フォーディズムの破綻とその主要な労働力であった黒人への差別により暴動が相次ぎ、1967年のデトロイト暴動では州兵が導入され街には戦車までが走った。暴動は街の6分の1を破壊し、廃墟となった街には黒人貧民層だけが残り、犯罪の温床となったゲットーは殺人発生率全米1位になるほど荒みきっていった。デトロイトは、アメリカの夢が最初に瓦解した街だったのかもしれない。
そして映画『グラン・トリノ』は、このデトロイトの街でフォードを造り続け、現在は退職して余生を生きる一人の男、ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)を主人公として語られてゆく。彼の誇りは愛車「グラン・トリノ」。オレは車のことはよく分からないのだが、ウォルトがかつて自動車工であった時代に製作された最高のフォード・モデルなのだろう。そしてそれはウォルトとアメリカの輝ける時代の象徴であり、と同時に、消え去りつつある過去の時代の栄光なのだろう。その過去に、ウォルトはもう一つの忘れようとしても忘れられない体験をしている。それは朝鮮戦争だ。古き"善き"時代になされたその戦争はウォルトにとって、アメリカと民主主義のために行われた"正しい"戦争だったはずだ。だが実際は、朝鮮戦争の体験は忌むべきものでしかなく、ウォルトの心に暗い影を投げかけていた。映画は過去のアメリカの光と影の中で引き裂かれたままそれでもアメリカン・ウェイを貫こうとする男と、新たに隣に引っ越してきたアジア少数民族であるモン族のロー一家との出会いと交流を通して、消えゆくアメリカの姿を描いてゆくのだ。
■頑固親父の父性
ウォルトは頑固親父だ。一人の熟練した職人であり、自分のことはなんでも自分で出来る男であり、男が男らしくあることが正しい生き方だと信じ、そして自分の価値観に固執したまま新しいものが受け入れられない老人だ。彼は彼の所有する「グラン・トリノ」と同様古い時代の遺物だ。確かに過去には輝ける時代はあっただろう。しかしそれは既に過ぎ去った時代の話でしかない。情報インフラが整備され、受け入れようとするならば多様な価値観がすぐにも眼前に立ち現れ、単純作業は海外にアウトソーシングされ、豊富な大量消費材がD.I.Y.をホビー程度のものにしてしまった現代において、ウォルトという存在は化石のようなものでしかなく、そして今後も、ウォルトのような男は現れないだろう。もしウォルトという男に"男らしさ"を感じたとしても、それはノスタルジーでしかないだろう。そしてウォルト本人も、そんな現代に、苦々しい想いだけを抱えて生き永らえていた。
最初ウォルトがロー一家を頑なに拒絶していたのは単に頑固親父たる所以なのだろう。しかしその後紆余曲折を経ながら徐々に心を開いてゆき、ロー一家やそのコミュニティーと交流してゆく様子は実にユーモラスに語られ、この部分の心の動きは物語を実に味わい深いものにしている。だが血を分けた家族にも心を閉ざしていたウォルトが、他民族であり赤の他人であるロー一家にこだわり始めたのは何故だろう。一家のアジア的な尊敬の作法と謙譲心に心を開いたともいえるが、やはりその中の一人の少年タオ・ロー(ビー・ヴァン)に対して「あーもう見てらんねえなあ、こいつは一丁仕込んでみるか」などという職人らしい親方根性と、家長のいないロー一家に対して、持ち前の父性が強力に動いたのだろう。そういった意味ではこの「グラン・トリノ」はある種の"最後の父性の物語"ということも出来る。それは望むと望まざるに関わらず世界を庇護しようとするアメリカの姿の写し絵なのかもしれない。
■「死に場所」
そしてある事件が起こり、頑固親父ウォルトは「ロー一家のかりそめの父」として最期の大仕事を仕上げることになる。それは"アメリカの最後の父"として、後に続く未来あるものへ、その魂を継承することであり、そして、もはや余生の短い自分の「死に場所」を探すことだった。
「死に場所」とはなんだろう。それは自分が、何故、何の為に、どう生きてきたか、を示す場所なのではないか。人は、いやがおうにも死ぬものだ。しかし、自死を除くなら、多くの人は死ぬ時も、死に方も、死ぬ場所も選べない。だが、死を悟ったものが、どう自分の人生に落とし前をつけるのか、を選ぶことは出来る。ウォルトは、ロー少年に対して、社会生活の作法は言葉で教えても、生き方そのものを言葉にすることは決してしなかった。なぜならウォルトは、生き方は言葉で伝わるものではないことを、十分に知っている大人の男だからだ。そしてウォルトは「死に場所」を見つける。それは気高く尊厳に満ちたものだった。即ちそれは、ウォルト自身が、気高く尊厳に満ちた人生を生きたという証を示したかったということに他ならないのだ。そしてそれが、ウォルトがロー少年に示した、《生きる》という態度そのものだったのではないかと思う。
オレは"死"によって成就する物語も人生も認めない。無様に生き残って無様に生きてゆくことによってしか人は学べない。しかし、年老い、または死期を悟ったものが、後の世代に何かを伝えようとすることはありだと思う。それは「自分はこう生きた」ということだけではない。「自分はこのように迷い続けた」でもいいんだと思う。新しい世代は、そこに教師と反面教師を見るのだろう。それでいいのだと思う。新しい時代は、どのみち彼ら新しい世代のものだからだ。死に行く古いアメリカから生きる態度を示された新しいアメリカ人ロー少年は、これからどこに行くのだろうか。