映画『ルパン三世 1st.TVシリーズ』 (監督:大塚康生 1972・2009年日本映画)

ルパン三世 1st.TVシリーズが作られるまで

現在でも根強い人気を誇るTVアニメーションルパン三世」。このファースト・シーズンから選りすぐられた3作がこのたび「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」にセレクトされ、現在渋谷シネマ・アンジェリカでも記念公開されている。セレクトされた3作は第11話「7番目の橋が落ちるとき」、第14話「エメラルドの秘密」、第19話「どっちが勝つか三代目!」。これに当時このファースト・シーズン制作に参加していた大塚康生高畑勲宮崎駿へのインタビュー映像「ドキュメント・「ルパン三世」とその時代」を併映しての上映となっている。実はオレは高畑勲宮崎駿がファーストに参加していた事はついぞ知らなかったし、しかも彼らはある事情により中途参加だったのらしい。

今から38年前の1971年10月24日、日曜日の夜7時半、「ルパン三世」1st.TVシリーズの放映が開始された。初の「大人向けTVアニメーション」として制作された当初のルパンは、青いジャケットを羽織り、ニヒルに笑い、アンニュイな雰囲気を漂わせたダークでカッコイイ、まさに「大人の男」であった。
しかし、視聴率は低迷し、シリーズ途中で演出家が交代するという事態が起こる。そこで、1st.TVシリーズのメインスタッフであった大塚康生の強い希望により、高畑勲宮崎駿がピンチヒッターとして演出に登用された。クレジットには「演出:Aプロダクション演出グループ」と表記されたのみで、高畑・宮崎が関わっていた事実を知るのは一部のファンに限られている。
「ルパン三世」1st.TVシリーズ オフィシャルHP/作品解説 

高畑勲宮崎駿

つまり高畑・宮崎はいわゆる"テコ入れ"の為に駆り出されたのであり、既に製作に入ろうとしてた作品のシナリオ、絵コンテを時間に追われながら必死になって練り直し、より"受け入れられ易い"ルパン像を作ろうと奮戦していたのだという。この時高畑が目指したのは多少筋が通らなくても面白さが際立てばそれでよしとしたドタバタでありアクションであったらしい。

当時を振り返って高畑勲は次のような文章を書いています。「私たちは愉快にかつがれることが好きです。映画であれば「そんなバカなことが!」と思いつつ、どこかほんとらしく思わずバカ笑いしてしまっている、そんな状態にしてくれるもの。そこにホロリとペーソスなんぞがまじれば、ますますうれしい。面白い筋、面白い人物、面白い手口やギャグで吸入圧縮点火と来て爆発排気する……そして後味がよくて何度見ても面白いとなれば、これは最高です。」
同HP/ルパン三世を語る

そして宮崎が目指したのは、最初のコンセプトであったクールでシニカル、スタイリッシュでニヒルピカレスクではなく、目的の為に知恵を絞り体を張り、自分のできる事をとことんまでやり遂げる"行動の男"としてのルパンであったようだ。

また、同時期に宮崎駿がこのシリーズについて書いた文章にはこうあります。「……まずなにより“シラケ”を払拭したかった。命ぜられたのではない。シラケが時代の先端だとしても、ミニカーレースのあの活力はぼくらのものだったのだ。快活で陽気、まぎれもなく貧乏人のせがれ、ルパン。……ルパンはクルクル走りまわり逃げまわり……知恵と体術だけで、あくことなく目的を追うルパン。」
同HP/ルパン三世を語る

なんのことはない。高畑と宮崎は、自らが「仕事」に臨む時の真摯な姿勢を、アルセーヌ・ルパンの末裔、怪盗ルパン三世のキャラクターに反映させたかったのだ。スノビズムやファッションではない、"俗"であり"実"のある、地に足の着いたルパン像を彼らは創出したかったのだろう。

■"しらけ"という時代

ドキュメンタリーでも語られていたが、「ルパン三世」の放送が始まった1970年代は高度成長期の末期であり、豊富に生活に行き渡り始めた消費物は物質主義的な風潮を見せ始め、日本の文化は爛熟を迎えつつあった時期であったようだ。そしてそれは60年70年安保の敗退と連合赤軍のリンチ事件、噴出してきた公害問題、まだ続いていたベトナム戦争などから、イデオロギッシュであることへの疑念と無力感が漂い始めていた時代でもあり、それが"しらけ"という言葉で代表されていたのだろう。そしてその時代の空気を体現しようと企画されたのが当初の「ルパン三世」というアニメだったのだろう。

だが高畑と宮崎はそれを善しとしなかった。彼らには座礁しかけたアニメ企画を立て直すという課題が、それも商業作品としてそれなりに成功するものを作らねばならないという"仕事"があったからだ。もとより自らが企画し完成を願った企画でさえなく、だからこそクレジットを出すこともなかった作品であったが、彼らはそれを不本意と取ることも無く、ただ成し得るべきことを成す為に、そしてそれが単なる迎合ではなく彼ら自身も面白いものと思えるものを作る為に、尽力したのである。この当初の企画のクールなルパンと、高畑・宮崎が創出したホットなルパンの、奇妙な二面性がルパン自身に厚みと深みを持たせ、今日のような愛されるキャラクターになったということなのだろう。

■アニメの原点回帰として

ただしエンターティメント映画として観ようとするとこの「ルパン三世 1st.TVシリーズ」はとりたてて楽しめるといったものではない。セレクトされた3作は当時のままで特別リテイク・リマスターしたものではなく、作品の質としても"70年代の懐かしアニメ"以上に観るべきものがあるとは思えない。いうなればこれは「TVアニメ考現学」の第1弾として企画されたこの映画の資料的な意味合い以上のものではなく、この映画の本体はインタビュー映像「ドキュメント・ルパン三世」にあるといっても過言ではない。逆に言えばこのドキュメントだけを観たとしても趣旨は伝わってしまう。しかし2、30分程度のこのインタビュー映像に料金を払うというのはマニア以外には敷居が高いもののように思える。

しかし、何故今この企画なのか?ということに目を向けると、やはり最近のアニメ界への危惧と危機感という事になるのだろう。オレは別にアニメの熱心なファンではないし、アニメ業界についての意見など何も無いが、確かにアニメ・ファンのみのために作られているようにしか見えない昨今の日本のアニメーションには、閉鎖性と停滞感を感じてしまうと同時に、積極的に興味を持ちたいとも思えないのだ。そういった閉塞感を払拭したい、そして万人に愛されるアニメーションを再び隆盛させたい、といった意味での原点回帰、これが「ルパン三世1st.TVシリーズ」の今回の映画化であり、「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」への新規セレクトの理由だったのだろう。だからこの作品はアニメ製作に携わる方々が多く観られるべきものであったかもしれない。

※渋谷シネマアンジェリカで4月17日まで上映予定(HP