TAP / グレッグ・イーガン

TAP (奇想コレクション)

TAP (奇想コレクション)


河出書房奇想コレクションの新刊はグレッグ・イーガンの日本オリジナル短編集『TAP』。先端テクノロジーや最新の科学知識を盛り込んだサイバーでイマジネイティヴな作品を次々に世に送り出し、現代最高のSF作家の一人なんて言われ方をしているイーガンだが、ここに収められている作品はブレイク以前の習作といった趣の作品が多く、どちらかというとファン向けの落ち穂拾い的短編集と思ったほうがよさそうだ。逆に言えばバラエティ重視のセレクトになっており、ファンにはイーガンの別の面を見ることが出来る短編集であるということもできる。

作品内容もまさにイーガンと思わせるようなハードSFというよりも、ホラーや奇妙な味といった作風のものが多い。そしてそれらの世界観も読後感もどことなく陰鬱、曖昧で所謂考え落ち的な歯切れの悪い結末を迎えるものが殆どだ。イーガンって実は…暗いヤツだったのか!?その為短篇としての完成度を目指したというよりも一つのアイディアをどのように展開できるのかという作家としての試作品的な作品が並ぶ結果となってしまったような気がする。

さて、ここに収められた作品全体を貫くテーマは「現実世界と自己との乖離」という言い方が出来るかもしれない。短篇「視覚」は事故を起こし脳手術を受けた男があたかも幽体離脱したかのような視覚を得る物語だし、「ユージーン」「要塞」は遺伝子操作による現代と未来との相克を描き、遺伝子エリートが常体の人類を凌駕した未来を予見する物語であり、「悪魔の移住」は研究室に閉じ込められた脳腫瘍の呟きであり、「散骨」は犯罪現場を追うばかりに現実から遊離する男の物語であり、「銀炎」はニュー・スピリチュアル・カルチャー思想に傾倒した者達が疫病による世界の新秩序を目論む物語であり、「自警団」は地下に幽閉され隔絶された”夢の中の悪魔”の物語であり、「森の奥」はナノマシンによる現実認識の変容を描いたものであり、そして表題作「TAP」は脳内インプラント"TAP"による独自の言語プロトコルを得た新人類と旧人類との確執を描いた作品なのだ。

このどれもが外挿された要因により変容した自己認識=アイデンティティが現実世界から浮き上がり、時に新現実を獲得するという物語なのではないか。イーガンは数々の既訳作品でも「アイデンティティの揺らぎ・変容」といったテーマにこだわり続けてきたが、この短編集でもそのスタンスは貫かれている。そしてこれらはどこか離人症と呼ばれる乖離性障害を連想させもする。しかしイーガンの描く自己認識の変容は、我々の持つアプリオリな知識を凌駕する圧倒的なテクノロジーの進化とそれに伴う世界の大規模なパラダイム・シフトを予兆したものに他ならない。未完成な作品の目立った『TAP』であったが、イーガンの持つテーマにブレは無かったと思う。