《毛じらみの夢》

  • シルベスター・スタローン出世作『ロッキー』には”イタリアの種馬”という言葉が出てくるが、その点オレなどは”品川区の当て馬”と言う事ができよう。読んで字の如く今の所品川区限定であるが、将来的には数々の熾烈な当て馬トーナメントを勝ち進み、いつか”アジアの当て馬”と呼ばれアジア全土を制覇する事を望む所存である。そして世界へ…。
  • 特に意味は無い。深く考えてはいけないのである。
  • 人間深く考えたら負けである。”「深く考えたら負けだと思ってますから!」と言い切る勇気こそが人に新たなステップを踏み出させるのである”と東京大学寄生虫学研究所所長・牛田蒙蔵氏のエッセイ『毛じらみ日記』にも記されているのである。
  • 毛じらみのように生き毛じらみのように死ぬこと。『毛じらみ日記』にはそんな人生への達観と深い洞察が含まれているのだ。
  • ラッセ・ハルストレム監督の珠玉のスウェーデン映画『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の続編として『マイライフ・アズ・ア・毛じらみ』という映画があった。これは前作の犬同様、人工衛星にくっついて宇宙に旅出ることになった毛じらみを哀れむ少年の物語である。「自分の人生なんてあの毛じらみに比べればまだましなほうだ」と訴えるけなげな少年の心情が感動を呼ぶ佳作であったが、”前作の焼き直し”という声が強くヒットには至らなかった。
  • 同様に、中国の荘子の弟子である丑氏(うしし)の説話に《毛じらみの夢》がある。「おっさんが夢を見て毛じらみになり、毛じらみとして大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たしておっさんが夢を見て毛じらみになったのか、あるいは毛じらみが夢を見ておっさんになっているのか」といったものである。
  • そう、人生など所詮毛じらみの夢。
  • ただ気になるのは「毛じらみとして大いに楽しんだ」という部分である。毛じらみごときの楽しみといえば取り付いた生き物の体毛をよじ登ったりそこを跳ね回ったりということであろうか。そしてたまに血をちゅうちゅう吸ったりべろべろと卵を産み付けたりするということなのであろうか。
  • それが楽しいのかどうかはなはだ疑問だと思われる方もいるかもしれないが、なあに、人間慣れである。それに卵をべろべろと産み付ける体験など結構面白そうではないか。
  • というわけで今日から”毛じらみ修行”に勤しもうかと考えているこのオレ様であった。