- 作者: コーマック・マッカーシー,黒原敏行
- 出版社/メーカー: 扶桑社
- 発売日: 2007/08/28
- メディア: 文庫
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凄まじいまでの血と銃弾、硝煙と死体、コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』はその邦題そのままのウルトラ・ヴァイオレンス・クライム・ノベルである。物語冒頭から登場人物たちの辿る足跡には常に銃声が鳴り響き血を流す死体が転がり、その合間には薄氷を踏むかのようにキリキリと神経を苛む逃走と追跡が繰り広げられる。物語の殆どはこれらの描写に費やされているといってもいい。そして文章はあくまでシンプル、読点を廃し会話の挿入文に鉤括弧を使わない独特の文体は、読むほどにうねる様なリズムを感じさせる。さらに事実関係の描写は全てを描くのではなく意図的に様々なシーンが省略され、読む者はそこで一瞬物語から放り出されるが、そこで「いったい今何が起こったのか」と自らの中で物語を再構成しなければならない。そしてこの技法が読む者の想像力を大いに刺激し興奮させるのだ。
登場人物たちの性格付けはシンプルな文章と物語ゆえ意識的に類型化されているが、淡々と積み重ねられてゆく会話の中から彼らの個性と世界観がゆっくりと立ち上がってくる仕組みだ。ヴェトナム帰還兵モスの社会に馴染めない孤独な生活とヴェトナム仕込みのサバイバル・スキル、殺人者シュガーの爬虫類のような冷血さと狂気、老保安官ベルの”現代”という時代への戸惑い、これらの登場人物の行動と独白が交互に描写されながらスピーディーに物語は進んでゆくが、そこから見えるものはアメリカの現在と過去と未来ということなのだろう。そしてそこにはピューリッツア賞作家でもある作者の、鋭敏な文学的視点が脈打っているのだろう。
しかしだ。この物語を文学小説として捉えたくはない。この小説は一級の娯楽作品として受け入れられることこそが最高の賛辞であると思う。人間の心の闇や社会の裏側に巣食う汚泥のような悪の存在を描き出した小説である事は確かに間違いない。だがそれよりも、作者の冷徹な筆致で描写された、どこまでも残虐な死と暴力と狂気の、その血と硝煙の甘き香りに満ちた恍惚こそがこの小説の魅力である、とオレは言い切ってしまいたい。頁をめくるごとに血の中を駆け巡るアドレナリン、殺戮と報復の暗く冷え冷えとした興奮。コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』は己の残虐な獣性を発見してしまう危険な魅力に満ちた一冊である。