水木作品の紹介

以前書いた記事の再録になるが、「ゲゲゲの鬼太郎」しか知らない方に水木しげるの伝記作品における傑作を紹介したい。なお文中の「神秘家列伝」は現在文庫本で入手可能のはずである。

水木しげる伝記作品(2005年9月12日分再録

前回まで『鬼太郎茶屋』で盛り上がっていたが、水木しげるは決して妖怪漫画ばかり描いている漫画家ではない。また、妖怪漫画しか知らない方には水木が子供向けキャラクターばかり描いている漫画家のようなイメージがあるかもしれない。確かに『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめとする妖怪漫画は水木の代名詞であり『河童の三平』や『悪魔くん』と並んで水木の真骨頂ではあるが、彼自身の思想背景や生き方・信条を知り、そしてストーリーテリングの妙を味わえるのは彼の描く伝記漫画にあるのではないかと思う。今回は水木氏の膨大な作品群の中からそんな伝記作品をピックアップしてみたい。
■劇画ヒットラー

劇画ヒットラー

劇画ヒットラー

水木の描く歴史上の人物の中で最もポピュラーなのがこの人物になってしまうだろう。太平洋戦争で地獄図を味わい、左手を失った水木は、あの戦争の「なぜこんな事が起こらなければならなかったのか?」をこの人物を通して見ようとした。そしてここで描かれるヒトラーは、奇妙に滑稽で悲しい人物だった。水木伝記漫画の中でも最も好きな作品だ。
水木にはこのような戦記物も多い。『コミック昭和史(全8巻)』『総員玉砕せよ!』『ラバウル戦記』など枚挙が無い。
■猫楠―南方熊楠の生涯
猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

猫楠―南方熊楠の生涯 (角川文庫ソフィア)

南方熊楠博物学民俗学のパイオニアとして知られる天才学者ではあるが、奇行を繰り返す変人としても知られていた。しかし水木はこの破天荒な生き方に注目し、自由なものの考え、自由な生き方、ということを突き詰めるとこういうことなんじゃないか、と愛情のこもった目で描いていく。
■劇画近藤勇―星をつかみそこねる男
劇画近藤勇―星をつかみそこねる男 (ちくま文庫)

劇画近藤勇―星をつかみそこねる男 (ちくま文庫)

新選組を組織した男、そして激動の時代を生きた男、近藤勇も水木の手に掛かると歴史に翻弄されるひとりの田舎者でしかなくなってしまう。ただやはりここでも水木の眼差しは暖かい。
■東西奇ッ怪紳士録
東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

東西奇ッ怪紳士録 (小学館文庫)

短編集。平賀源内と殿様」はじめとする連作で取り上げられている平賀源内は閃きに長けたアイディアマンであったけれど、どこか腰の据わらないお調子者のようにも描かれる。しかしこの人間臭さがいい。
二笑亭主人」。渡辺釜蔵なる大正の男がなにかの啓示があったのかなかったのか、突然作り出したその家は「二笑亭」と呼ばれた。「建物」という概念を無視した奇怪そのものの家屋は、彼自身の妄想の賜物以外何物でもない。しかし自らの妄想に浸るときこそが人が一番幸福なときなのかもしれない、と思わせる。
(参考:『二笑亭綺譚』http://www1.odn.ne.jp/~aac65140/books/nisyotei.htm
「フランスの妖怪城」。フランスのオートリーブに『シュヴァルの理想宮』と呼ばれる奇怪な宮殿がある。これは郵便配達人シュヴァルが生涯を賭けたった一人で作った幻想建築なのだ。これもまたオブセッションについての物語であるが、先の「二笑亭主人」同様、幸福とは何なのかについて考えさせる。
(参考:『シュヴァルの理想宮http://www.atomictaro.com/etc/cheval/cheval.htm

■神秘家列伝(1)〜(3)

「其の壱」ではスウェーデンボルグ、ミラレパ、マカンダル、明恵を、「其の弐」では安倍晴明長南年恵コナン・ドイル宮武外骨を、「其の参」では出口王仁三郎役小角井上円了を描く。神秘主義というのは卑俗にも学術的にも妄信的にでも批判的にでもいくらでも言及されるものではあるが、しかし水木はここで、「人は何故幻視するのか」を追求しようとしている。神秘主義者らが体験した超常の世界を否定も肯定でもなくありのまま描きながら、「観る」という力の有り様が人に何をもたらすのかに水木は興味を示す。そこには人の業と、そして人であると云う事の不思議が満ちているように思う。UFOも幽霊も神もいない。しかしUFOや幽霊や神を見たがる我々というのはいったい何なのであろうか、と。