Gガール 破壊的な彼女 (監督:アイヴァン・ライトマン 2006年 アメリカ映画)

前の彼女と別れてもう半年、寂しい毎日を送る僕にやっと新しい彼女が出来たッ!飛び切り美人の彼女、最初は大人しい子かな?なーんて思ったらとんでもない、あっちのほうがメッチャ凄い!ワァ〜オ!しかし凄いのはそれだけじゃなかった!彼女は、なんと街を救う正義のヒロイン、Gガールだったんだッ!

キル・ビル』のユマ・サーマンと『チャーリーズ・エンジェル』のルーク・ウィルソン主演、監督に『ゴーストバスターズ』『ツインズ』のアイヴァン・ライトマンを迎えて製作されたしょうもない映画、それがこの『Gガール 破壊的な彼女 』である。まあなにしろしょうもない。「もしも彼女がスーパーガールだったら?」という物語ではあるが、「ベッドのほうもスーパーだった!」とか「ブチ切れ具合もスーパーだった!」とか、まあ、そのまんまである。ベタなセックスネタが多いが、なんか飲み屋の会話で出てきそうな妄想塗れのエロ話程度のもんだ。実はオレも飲み屋でそんな話ばかりしているが(スマン…)。

それと合わせ、笑わせようとしているのか強引な展開が多く、特にルーク・ウィルソン演じるマットがGガールであるジェニーに別れを切り出したあとの展開は、Gガール/ジェニーが化け物じみたアブナイ女に成り下がってしまい、主人公であったはずのGガールの魅力が失せてしまう。ということはこれはただの平凡な男マットが中心の物語という事になってしまい、観ているほうとしては「こんなぱっとしない男に感情移入しなければならないのか?」と観る気が突然半減してしまうのだ。要するに「ヤキモチ焼きの彼女が出来て本当に参っちゃったよ」という男の愚痴なのであって、ヤキモチを焼いている女の、そのいじましさや可愛らしさは描かれないのだ。なんだよ、天下のユマ様を主演にしておいてその扱いはないだろうが!

劇中にくすぐり程度に挿入される「あまりに厳しい会社のセクハラチェック女上司」はそこそこ笑えたが、後から考えるとこれもやっぱり「女ってヤツぁギャーギャーと小ウルサイもんだぜ」という男の愚痴が具現化したものに他ならないのではないか。言うなればこの映画はスーパーな女を主題にしながらもその彼女に要求するのは床上手でしかなく、また別れた後は嫉妬の怒りに狂う頭のおかしいキモイ女としか扱わないという、男にとって都合の良い視点だけで描かれたマッチョな映画であったのである。おおスゲエ、オレってなんかフェミニストみたいじゃん。というか、言いたいのは、ユマ・サーマンを最後まで可愛らしく素敵に描かなければ映画としては失敗だろ?ということなのだ。だってエロはあってもロマンスはないのよ。これって典型的な男の頭の中身だよな。

予定調和とかお約束だらけとかいう言い方はコメディの一つの見せ方だからあえてしないけれど、例えば映画では重要であるはずの役どころであるベッドラム教授なる人物も、「世紀の悪玉」とか言ってるのに、何を悪い事をしたんだか、劇中全く語られていない、という恐るべき不手際さが目立つ。突然妙なおっさんが出てきて「なんやこいつ?」と思わせるだけなのだ。本当に悪玉だとラストが生きないからなのだろうが、それにしても脚本の弱さが如実に現れた結果となった。軌道の外れたミサイルが街へと落ちてくる報道で大混乱となっている人々をよそに、「彼が冷たいからGガールになってやったりなんかしないもん」とジェニーが拗ねているシーンは、”私だって普通の女の子みたいにシアワセになりたい”というGガールの心情が見えてくる場面であり、監督アイヴァン・ライトマンはここにテーマを据えてこの映画を撮るべきだったのではないかとオレなんかは思うのだ。ってか、この監督、ダメだわ。どの映画もつまんないし。

…とまあここまで言っといてなんだが、ユマ・サーマンファンのオレとしては、ユマ様が出演なさっているというだけでエブリシングOKである、という恐るべき結論をここで唐突に述べて文章を終えるのである。ユマ様LOVE!(ええええええ!いいのかそれで!批評放棄かよ!)

■Gガール 破壊的な彼女(原題:MY SUPER EX-GIRLFRIEND)トレーラー