ソウ3 (監督:ダーレン・リン・バウズマン 2006年 アメリカ映画)

1作目は練りこまれた心理劇と緻密なパズルのようなストーリーで単なるホラー映画にとどまらない良作のエンターテインメント映画として完成していた本作だが、続く『2』では集団パニックの要素を盛り込みつつ若干大雑把になってしまったきらいがあった。そしてこの『3』では死に瀕したジグソウが中心に据えられた、これまでの3作の総集編的な性格の作品になっている。1、2作目のショットやその背景で成されていたジグソウの行動などが多々挿入されるが、その為1、2作目を観ていないとよく判らない部分があると思うし、なにしろ『3』それ自体がこれまでの2作のネタバレになっているので、1、2作目の鑑賞後に観られる事をお薦めする。


さて一般的な評価では「1作目を超えていない」ということだが確かにそうではあるけれども、『2』そしてこの『3』でさえホラー映画として高いレベルのクオリティを持っているということを考えると、個々の作品はそれなりに評価できるし、来年公開という事で製作の進んでいる『4』に関しても期待ができるものであろうと思う。この『3』でもラストでしっかり『4』への伏線張っていたしな。全体的に以前よりもスプラッタ要素が過剰なまでに描かれ、残酷度とグロテスクさがアップしている。人を屠殺する為にのみデザインされた中世の拷問具のような器具は今回も登場するが、もっと様々なギミックのものが見たかったように思う。


さてこの『3』でも面白かったのは、作品冒頭から散りばめられたシチュエーションのピースが最後に思わぬ大きな絵として完成される、文字通りジグゾーパズルのような物語運びだろう。全てが殺戮のピタゴラ装置のようにジグソウの思惑通り進む様はあたかも全知全能の神の如き様相である。この”神である殺戮者”とその掌の中でおぞましい死を迎える人々という構図は例えば『セブン』やハンニバル・レクター・シリーズの系譜なのではないかと思う。ケダモノやバケモノのような殺戮者によって登場人物が屠られるスラッシャー・ムービーはあたかも人が虫けらのように殺され、観るものはそこに一個の動物としての恐怖心を抱く。しかし”神である殺戮者”は殺す事に狂い切った哲学と様式と理由を持ち出す。死そのものへの恐怖と別に、あたかもミノタウロスの迷宮のように狂妄し歪んだ知性への恐怖というのがここにはあるのではないかと思う。そしてジグソウ役のトビン・ベルの顔はどこか哲学者めいてさえ見えるではないか。


映画では先に述べた死に瀕したジグソウを救う為に”ゲーム”に駆りだされてしまった女医と、幼い子供を交通事故で亡くした男の復讐を促す為の”ゲーム”の2つが描かれる。この無関係に見える2つの”ゲーム”の交差する所に何があるのか。そしてさらにクライマックスまで隠されていた真の”ゲーム”とはなんだったのかが語られてゆく。ジグソウは全ての殺戮に”ゲーム”という呼び名をつけ、そしてルールを銘記する。そしてこのルールによって試されるのはいったい何か、が映画のテーマにもなっている。だが勿論、ホラー映画ではテーマなんざ二の次なわけで、狂ったルールによる狂ったゲームの生み出す死と肉体破壊のアラベスクに血の凍るような思いが出来れば『ソウ』という映画は楽しめるのだ。


■ソウ3 トレイラー (怖いよ!!)