ナチョ・リブレ 覆面の神様 (監督:ジャレッド・ヘス 2006年 アメリカ映画)

あ〜たたかい〜人のぉ〜情けぇ〜もぉ〜胸を打つぅ〜熱い〜涙ぁもぉ〜知らないで、育った僕はみなしぃ〜ごさぁ〜。オレの名はイグナシオ、皆からはナチョって呼ばれてる。孤児だった俺は修道院で育てられ、今は同じような孤児達に料理を作ってやってるけど、最近修道院も寄付が少なくって、まともなもん食わせてやれないんだよな。そんなある日町で見掛けたのがルチャ・リブレのアマチュア大会の賞金さ。折りしも修道院には超美人のシスター、エンカルナシオンが赴任してきた。ここは一発やる気を出して、料理代とシスターの愛をこの手にしてみせるぜ!


「ナチョ・リブレ」である。イエズス会創立者であり聖人であるイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)という人物がいるが、その名前を愛称で呼ぶと”ナチョ”となり、これは《聖人レスラー》という意味のタイトルという事になるのだろう。頭に書いた歌はタイガーマスクのものだが、映画のほうもタイガーマスクの原案とも言われるメキシコの伝説的ルチャドール、フライ・トルメンタの実話を基にしているらしい。監督は『バス男』のジャレッド・ヘス、オフビートの脱力的なコメディで大ヒットを遂げた前作だが、今作もノリは変わっていない。この監督のノリは独特で、「しょーもねーなぁー」と弛緩してしまうエピソードが一個ずつ積み重ねられてゆくが、それが相乗効果を生むということが無い。一番オーソドックスなギャグの手法って、同じことを繰り返す事だけれど、そういう形で笑いを取ろうとはしないんだよね。


だから惜しいなあ、というエピソードは幾つかあって、バイクはもう2回ぐらいコケて貰いたかったし、”ヤセ”に色目を使うオデブちゃんはもう少し絡んでもいいと思ったし、レスリングはもっと変でも良かったと思うし、敵役ラムセスはもっとアホアホかもっと凶悪でも良かったと思う。ギャグやコメディとして観るよりも、奇妙だがどことなく愛すべき人たちが織り成すチャーミングな物語として観た方が正解だろう。ただどうしてもギャグ映画として期待してしまうのは、主演がジャック・ブラックであるからということになってしまう。


オデブで濃いいジャック・ブラックはそのキャラからしてベタなものを醸し出している。 下品で押しが強く、思い込みが強い、まあ側にいると一番嫌なタイプではあるが、実はこの日記を書いているこのオレはその体格と性格の濃さがジャック・ブラックそっくりという恐るべき事実があったりする。だからあまり批評し辛いのである。気を取り直して進めよう。この「何かやってくれるに違いない」と観客に期待させるジャック・ブラックの強烈なキャラと、監督ジャレッド・ヘスの演出する”ヘタレな可笑しみ”が時として齟齬を起こしているような気がしたのだ。ポスターの三段腹をせり出させたジャック・ブラックの姿にコテコテの笑いを期待したのはオレだけではないはずだ。


集客ということではジャック・ブラックの配役は正解だったけれども、映画を観進めるうちに、風光明媚なメキシコの、乾いた空気の匂いさえしそうな素晴らしい風景に、この映画はオール・メキシカンの配役で撮った方が映画の主題としては合ってたのではないか?と思えてきたのだ。最初は貧相なキャラに見えたナチョの相棒”ヤセ”ヘクター・ヒメネスが、次第に面白いキャラに化けてゆき、その演技が監督ジャレッド・ヘスの演出のテンポの上手くあっていたものだから、余計にそう思えたのかもしれない。


バス男』と並べてジャレッド・ヘス監督の映画を見渡して見ると、「報われたいと思っている人は報われる」という性善説的な主題を持った監督なのではないかと思えた。それが、ラストの、まあ現実ではありえないような勝利へと繋がって行き、いいじゃん、映画はドリームなんだから、となんだか心がホクホクしてくるところはやはり監督の持ち味なんだと思う。付け加えると”シスター・エンカルナシオン”アナ・デ・ラ・レゲラは他の出演作は不明だが、とても美しい女優であった。