爺さんは配合していた

朝は早めに出て喫茶店で茶などをしばいているオレである。
さて今日なのだが。
いつもの席に座って朝から優雅に読書なんぞをしていたオレ。
そのオレの2つ隣の席に一人の爺さんが座ったのである。
最初は特に気に留めなかったのだが目の隅に爺さんの妙な動きが映ったのである。
・爺さんの目の前のテーブルの上にはコーヒーカップが一つ、紙コップが二つ置いてある。
・爺さんはまずティースプーンでコーヒーカップのコーヒーを二杯、空の紙コップに入れる。
・それからもう一つの紙コップに入った液体を二杯、最初の紙コップに入れ、コーヒーと混ぜる。
・飲む。
…というような行動を延々行っているのだ。
二つ目の紙コップに入っているのは水なのだろうか、ガムシロップなのだろうか。
コーヒーが熱くて水と混ぜているのならコーヒーカップに直に水を入れればいいだろうし、ガムシロップなら尚更そのまま入れればいいではないか。
それを何故わざわざ妙な手間をかけて”配合”しながら飲んでいるのだろうか。
爺さんなりの「コーヒーを飲む」ということに対する”遊び”なのだろうか。
わからん。
爺さんのやりたいことがわからん。
そういうことを考えながら、本を読むことも忘れじっと爺さんの行動を観察していたオレである。
すると、コーヒーカップのコーヒーを半分がた(”配合”しながら)飲んだ爺さん、ふと液体の入った紙コップを持ち上げ、暫く考え込むと液体をコーヒーカップに注ぎ始めた。
やっとコーヒーカップからコーヒーを飲み始めた爺さん。
顔には満足げな、何かをやり遂げた男の誇りに満ちた笑顔が浮かんでいる。
よかったな爺さん。
でもな。
最初っからそうしろって。
こうして爺さんはひとつの学習を成し遂げ、そしてオレは無駄な時間を爺さん観察の為に費やしてしまった、という朝なのであった。