オレと日記(今年の抱負なのかも)

去年はすごい年でしたね。一昨年日記を始めて、その時ははっきり言って「引きこもりのデブオタ」をキャラに(というか現実もそうだったが)隠隠滅滅としながら文章を書き綴っていましたが、それでもそんな日記でも好んで読んでくれる方達がいて、そういった方達とネットで知り合えたのが、自分の人生では画期的なことだった。そして去年はそんな方達と実際にお会いしたりして、それなりに交流が持てた。もともとそういうことを目的に書き始めた日記ではないから、なんだか本人もびっくりしている。全部日記のおかげなんだろうなあ、と思う反面、なんだ、自分だって、やれば出来るじゃないか、と思えた。人と接するのは面倒なことだけれど、接してみれば、いいことだってある。つまらないこともあるかもしれないが、いいことのほうだけを見ていけば、全部プラスになる。

でも、今年はこの日記はもっと適当に書こうかと思ってます。これ以上PVもアンテナも増えないでしょう。最初はPVやアンテナは気になりましたが、もはやどうでもよくなってきた。オレの度量ではこのぐらいが丁度いいのだな、と思えてきた。このぐらいが身の程というものだ。だから手間隙かかるレビューとかはやらなくなっていくと思います。

あまり読まれない、というのはひがんでる訳でもなく、単に需要と供給という経済的な部分で必要とされてないだけなんでしょう。そもそも例えば「あんぺい」の記事なんて誰も必要とはしないでしょうが、自分にとっては面白いことだったりするわけです。それにオレ「はてな」って興味がなくて、アンテナ登録してもらってる人の日記しか読まないもんなあ。「面白い日記」というのは世の中にはあるのでしょうが、ある意味、「カンケーない」ものを有難がってもしょうがなく、「カンケーのある」ものだけが自分にとっては面白いんです。

更新が多いのは多分自分が不幸な人間だからじゃないかと思ってます。充足していれば人間つらつら文章なんか書かないと思ってます。でも充足している人ってそういないから、だから人の書いた文章読んだりしてるのかなあ、これって、補い合うということなのかなあ、なにか人間関係というのはこういうもんなのかなあ、と、うまくまとまりませんが考えたりしてます。 「記事」なんてどうでもよく、多分日記の向こうのその人本人との関わりがあるから楽しいのだと思います。これが俺にとっての「カンケーのある」事なんです。

データがどれだけあろうと、どれだけ知識があろうと、どれだけ鋭い批評眼を持ってようと、オレには「カンケーない」ものです。データも知識も、検索すれば何千と出てくるものですから、それは「その人自身」である必要なんかないんです。批評にしても、他人のロジックというものは、それ自体が批評されるものでありますから、やはりあまり好きではないのです。他人を批評したくはありません。オレは、単に、その人を好きになりたいだけなんですから。

映画なり本なり、いろいろレビューはしてますが、ただつまらない、とか否定的な文章はあまり書きたくはないのです。面白かったことと楽しかったことだけを見つけて書きたい。自分はこうして楽しんだよ、ということを書きたい。沢山の時間をかけて、それで「つまらない」と言ってしまうのは勿体無いし、物事に対して辛辣だったり否定的だったりする部分というのは、自分に返ってくるものだからです。辛辣さや否定的な物の見方は、逆に自分も辛辣で否定的に見られる、または、自分をもそういう風に見てしまう、という要素を持っているものだと思います。それって、楽しくない。

世の中というのは、現実的に見れば見るほど楽しいものではないし、また、現実的な側面を見たからといって救われないことが多いような気がします。目をそむけるわけではなく、こういう現実と知って、そしてそこから飛び越えたい。「逃避」するのではなくポジティブに「脱出」したい(オレが言ったわけではないんだけどね。TVBrosの青木優Xサラーム海上さんの対談で言っていたことだけれど、この言葉は本当に身につまされた)。以前ニゲラさんという方に「ディオニュソス的」と言われた事があってそれはとても心に残っているのだけれども、それは「あー、自分はそういうふうに生きたかったからなのか」と思ったからだった。

あんまり現実を現実だと思ってあげたくない。40数年掛けてこいつらにはほとほとうんざりさせられてきたからだ。むしろ現実の頭の上に乗っかって、ゲラゲラ笑いながら踊り続けていたい。今の自分というのはこの40数年間の「自分という現実」への復讐だと思っている。いつか「時間」は足を掴み、オレはここから転げ落ちる日が来るのだろうとは思うが、せめてそれまでは、鼻先だけでも出し抜いてやりたい。このしょうもない現実から。

「憎しみや同情はまっぴらだ。人生で何よりも大切なものは「きれいな女の子との恋愛と、デューク・エリントンの音楽だ」と喝破するまでもなく、生きることはバカ騒ぎそのものである。せめて胸に睡蓮が咲くまでは……」荒俣宏ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」(早川書房)解説より
うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)