かわら板

とあるメルマガにて。

この間まで「かわら」って書いてたんですけど、読者様に指摘されたので正しい表記の「かわら」に直しました。

2005.11.07.○○かわら板

…直ってねーじゃねーか。
とまあ、こういう細かい過ちなどはどうでもよい。オレは細かい事は気にしない性格だ。会社で仕事しているとき、金曜日に月曜日の予定を打ち合わせしていると、つい「明日の件なんだけど」って言ってしまいませんか。土日は休みなのでこういう風に言ってしまうんですが、こういう時「へえ、土曜日出社なの?」などとわざと言われたりするとオレはご立腹するのである。プンプン。意味通じてるんだからいーじゃねーか。と云う訳で基本的に大意が通じればそれでいいと思うことにしている。
しかしな。「明らかに違うだろそれは」と言うものも存在するよな。
以前《座って飲める立ち飲み屋”中腰”》という店の存在をネットで見つけたときは「まあこれはネタだろう」と勘弁してやったオレだが、《美人板前のいる寿司屋”○○”》と看板を出している寿司屋の入り口に「女性寿司職人募集中」と書かれていた張り紙があった、と云う話を訊いたときには「看板作る前に募集しろ!」と難色を示したものだ。おまけにそこの寿司屋の板前(勿論男)にインタビューしたら「いやあ、そのうち来ればいいなあ、と思いまして…。」などと弱気なことを言っているではないか。お前いつもそんな後手後手の人生なのかよ!それでいいのかよ!と無意味に激高するオレなのであった。
この《かわら版》にしても《かわら板》だから「ま、いっか」と思えるのである。これが《かわや板》だと厠板となってしまい、ちょっと異臭のする板になってしまうではないか。まあ例えば《カエラ板》なら許してもいい。「おお、この板が、あの木村カエラちゃんの…」などと在らぬ事を妄想夢想して陶然となることが出来るではないか。いったい「この板」でカエラちゃんが何をしたのかはよく判らないし判っていたとして君たちには秘密だが。そしてこれが《カエル板》だと田んぼに大量発生したカエルを叩き殺す板かと思ってしまうし、《かわらず板》だと「いいのか、お前はいつまでも自分が板であるという立場に安寧として甘んじていて、それが正しいと思ってるのか、え、え?」などと説教のひとつでもしたくなるというものだ。しかしこれが《バンバ板》や《バンバラバンバン板》だともう訳が判らなくなってしまい、事態は既にオレの手では終えない深刻な様相を呈していると云うことになるである。