オタクとサブカルなんて論議があるのらしいけれど、かつてヲタでサブカルの一味だった自分としては、もはやどうでもいい事のように感じる。「好きな事は好きな事でいいんじゃない?」としか思えないことを、なぜプライドまで持ち出して語るのだろう?ユリイカなる雑誌がどれほど影響力があり権威のあるものかは知らないけれど、権威なんてどうでもいいじゃない?そしてヲタとは孤独な遊びであるからこそ喜びがあるのだから、集団で権力的に振舞う段階でそれはなにか別のものに変質しているのではないか?価値観などもはや等価なのだから、ヲタもサブカルも何一つ特別なものではなく、それはパーセンテージが多いか少ないかというだけの問題だ。だから「オタクVSサブカル」なんて対立させてみるのは、単にどちらに権威があって権力的であるか、という話題でしかない。それ、なんか、意味があるのか?
確か橋本治が言っていたと思うんだけど、サブカルチャーなんてもはや存在しないんだよ。「サブ」と自ら貶めることでメインなものと差別化することが問題なのであり、そしてもはや「上位の」文化なんていう権威は存在しないのだから「サブ」なんて語る必要なんかないじゃない。少数派である事に妙な特権意識を持っていたのかもしれないが、少数派でなくなってしまったら、いったいどうするつもりなんだろう。
大塚幸代さんがブログHibiで言っていた、「日本にカウンターカルチャーなんてない、売れてるものとマイナーなものしかないんだ」と言う言葉がこの話題の一番正鵠を突いている発言だと思うんだけど。