ブロンドのあのコの話、その他の話

今日も子供の頃の話。
オレの町には暫く米軍が駐留していた時期があった。冷戦中のソ連への前哨基地だったのだ。だからそこここに外人のアパートがあり、外人が住んでいた。外人のアパートから出されるゴミには見た事も無い外国の食い物のパッケージが棄てられており、オレはそれが珍しかった。近所には金髪の白人の小さな女の子が住んでいた。ある日その女の子を見かけた子供のオレは、言葉の通じないその外国人の女の子の気を惹こうと(ガキの頃からスケベ根性丸出しのオレ様!!!)落ちていた木の小切れを拾い、逞しいジャップの男の子であることをひけらかそうと、それを得意げに膝で折って見せた。どうよどうよ。しかし女の子はまだ怪訝な顔でオレを見ている。それではこれでどうだ。オレは木切れを2本持つと、またそれを膝で折ろうとした。折れない。何度やっても折れない。金髪碧眼のジェシー(仮名)は退屈してきびすを返すと家へと帰ってしまった。挫折感を胸に、オレは、いつまでもいつまでもその木切れを折ろうと虚しい努力を続けるのであった。思えば、オレのハリウッド映画の金髪女優へのコンプレックスは、あの頃芽生えたのかもしれない。(ホントかよ)
また別の話。
米軍がいたぐらいだから、自衛隊の駐屯地もあり、それは今でも存在する。町外れには立ち入り禁止の鉄柵と鉄条網がどこまでも続き、丘の上にはドーム型のレーダーサイトもある。山の上には自衛隊の演習場があり、ガキの頃は友達とよくここに忍び込んでは、実弾の薬莢を拾って集めていた。1983年の大韓航空機撃墜事件*1ではここの自衛隊が情報収集に務めていたのだろう。撃墜された旅客機の乗員の持ち物がオレの町の浜辺にも打ち上げられたという。オレに町にはこの事件の慰霊碑が存在する。*2
また別の話。
友達の福島君はそんな米軍相手の理髪店を営む店の子供だった。彼の一家は米軍から払い下げられた民家に住んでいた。米軍相手だったせいか、生活のいろんなものがアメリカナイズされていた。家族全員が体が大きく、バタ臭い印象があったと思う。彼の家に行くと、玄関先に消毒薬を入れたホウロウ引きの金たらいが置いてあり、そこで必ず手を洗わされた。ある日彼の誕生会があるという事を小耳に挟み、お小遣いの100円で車のプラモデルを買うと、彼の家に遊びに行った。お金持ちな彼の家の誕生日パーティーは楽しかった。何日か後、体育の授業でクラスで体育館に集まっている時、その福島君と友達が後ろでこそこそ話しているのが聞えた。「フモ君ってさ、呼ばれてもいないのに誕生会来たんだよ」。子供心に、それはそれで傷付いた言葉だった。
また別の話。
近所に住む菅原君は畜肉店の長男だった。畜肉店は儲かっているらしく、あの時代に既にビデオデッキを持っていた。彼も米軍払い下げの家に住んでいて、家へは靴を履いたまま上がった。でもオレの土地は雪や雨の多い所だったから、彼の家に入るといつも床にはなんとなく泥がこびりついていて、外人の生活も難儀だな、と思った。
また別の話。
友達の高山君は父親自衛隊員で、自衛隊の官舎に住む子だった。彼はブルース・リーが好きだった。兎に角兎に角好きだった。彼の部屋には、壁いっぱいに龍とブルース・リーの絵が描かれていた。彼の父親の友人に絵の達者な人がいて、彼の為に描いてくれたんだという。確かに当時ブルース・リーは大人気で、ファンが多かった。そんな彼のコレクションに、《燃えよドラゴン:映画全音声収録レコード》というものが存在し、二人で聴いた事がある。当時は今みたいに一般家庭ではビデオなんて流通してなかったし、勿論ビデオソフトなんてものも存在してなかった。マニアな人なんかは多分映像は8ミリで収集していたのだろう。関係無いけどスター・ウォーズの8ミリフィルムなんてものも売り出されていたらしい。どちらにしろ、普通の家庭で買えるものではなかったと思う。だからファンが劇場公開の終わった映画を観るのには、TV放送しかなかった。そして、そんなファンの欲求を満たすべく、苦肉の策として売り出されたのが、この「映画の音声だけを2時間あまり収録したレコード」だったのである。今じゃ考えられないけど、昔は結構あったような気がしたな。《宇宙戦艦ヤマト映画版:全音声収録レコード》とかさ。
また別の話。
そうだ!オレ当時、《宇宙戦艦ヤマト》が大好きだったんだけど、再放送された時、TVで放送された全話の音声を録音していた!ああ、ビデオもDVDも無い時代…。
また別の話。
小学生の頃好きだった坂井さんもやはり自衛隊員の娘だった。それはもうなんというかお人形さんのような綺麗な子で、親同士繋がりがあったのでよく遊びに行っていた。バドミントンとかおはじきやってました…。うううう…。ある日、オレの親の知り合いの漁師がナマコを大量に水揚げしたので、それをあちこちお裾分けする事になった。坂井さんの家にもお裾分けすることになって、運ぶのを手伝う為に彼女が家にやってきた。ビニール袋いっぱいのナマコはそれはそれで重たくて、彼女の家まで二人でその袋を持って歩いた。そんなオレ達を途中の道で近所のおばさんが見つけて、「あらフモ君、可愛い子じゃない、ガールフレンドなの?」とからかった。どぎまぎするオレの横で坂井さんは小声で「気にしちゃ駄目よ、気にしちゃ」と冷静に言った。なんだか彼女のそんなクールな所がまた素敵だった。大好きな子と二人して荷物を下げて歩く長い道。子供のオレには恐ろしく幸福な体験だった。ま、荷物の中身がナマコって所がオレらしいがな!そういえば彼女が盲腸で入院した時に、一張羅のブレザー着て蝶ネクタイして見舞いに行った事があったな!(オレってどんなガキだったんだ…頭クラクラする…)そんな彼女だが小学5年生の時に転校してしまった。今でも、実家に帰る事があったら、彼女の住んでいた自衛隊宿舎の近所に立ち寄ってしまう。でも、何年か前までは、建物は残っていたのだけれど、この間帰った時には、取り壊されて別の家が建っていた。彼女のお母さんがいつも手入れをしていたとても綺麗な花の咲く庭も、もう無くなってしまっていた。

…そしてまた別の話…。