そんな日は

ゲンが悪いと言うか頭の上の風向きが悪いと言うか、星の巡りが悪いというか黒猫あるいは霊柩車が目の前を横切ったと言うか、タロットカードで死神が100枚位出てきたと言うか名前の画数が最悪だったと言うか細木数子に「地獄に落ちる」と宣言されたと言うか、取りあえず今日一日はちょびっとウマクナイ一日であった。
なにがいけないのだろう。あの時親指を隠さなかったのがいけなかったのだろうか。エンガチョ切るべきだったのだろうか。名前を「FUMO」から「ふもきっき」に改名するべきだったのだろうか。塩を撒き、鰯の頭を玄関に差し、枕元に黄色い絵と水の入ったコップを置き、絵馬を奉納し、掌に「人」と言う字を書いて飲み込み、雑誌広告の幸運グッズを買い揃え、鶏の生き血を飲み、「妖精さん妖精さんいらっしゃい」と100回唱え、空中浮遊し、毎日「わっはっはっ」と大声で笑い(これはやってるな!)、横断歩道の白いところだけを歩き、葉が4つあるクローバーを探し、茶柱を立て、早朝乾布摩擦をし、写経し、十字を切り、ゲームは一日一時間までにすればこの澱んだ空気は晴れると言うのだろうか。
チッチッチッ。違うな。運なんてねえ。偶然と蓋然と必然があるだけだ。サイコロの出目の因果律が複雑になっただけだ。運命があったとしてもそれは無視する為にのみ存在するのだ。幸運はないが不運も無い。幸福だと思う気持ちと不幸だと思う気持ちがあるだけだ。そして教会の鐘はいつも「ノーヘル、ノーヘル」と鳴り、駒鳥はいつも「プーティウィッ?」と鳴くのだ。ボコノン教は「無害な非真実を信じなさい」と教え、目を上げるなら空には「DREAMLAND」と書かれた青いのぼりが音もなく風の中にたゆたっているのだ。だから。取り合えずこの黄色いレンガの道を歩いていこうよ…って、え、まじっすか。それちょっとメルヘン過ぎませんか。やっぱそのう、キャラがキャラだし。どちらかというと大森駅中央口近辺の飲み屋街を歩いていこう、と言ったほうが似つかわしくないですか。なるほど、ああそうですね。あの辺黒服&茶髪の怪しげな呼び込みも多いし、もうオジサン今日はどうなっちゃうかわかんないからね!乱れちゃうからね!と誰が訊く訳でもないのに虚しく雄叫びを上げる孤独な中年であった。
と言うわけで今日も満身創痍、ハートエイク・ブルースのオレは夜霧と酩酊に霞む場末の焼き鳥屋へと消えていくのである。嗚呼。
しかしそんなオレの心にもロマンはあるのだ。実はモーソーの中ではオレは紫煙煙る未来の酒場でハードボイルドに杯を傾けるデッカードなのである。そしてレイチェルに電話して「小汚い飲み屋から電話すんなオラ」とか言って振られるのである。実はリアルでも「フモさんの声耳障りだから電話しないで。しても出ないし。」とか宣言されているのである。悲しい。辛い話だ。ところで、勿論飲んだ後はラーメン屋に直行だ。これは酒飲みの鉄則であり万物不変の法則だからな。ルールでありセオリーであり万物理論BYグレッグ・イーガンなのだからな。そして誰もが予想しているオチだとは思うが、注文すると「二つで十分ですよ!」と店のオヤジから叱られるのである。