Five video games I play to a lot, or that mean a lot to me(よく遊ぶ、または特別な思い入れのある 5 作)

■ファイナル・ファンタジー Ⅳ (SFC

例の有名RPGの4作目、スーファミでの初リリースである。オレは実はオレの年代の割にファミコンというものは触ったことがなく、スーファミがゲーム機初体験だったのである。…いやー、びっくりしましたね。画像の拡大縮小や回転、多量のスプライト表示、美しい色彩と音楽、当時ファミコンと言えば52色ぐらいしか表示色がなく*1音源はPSGとビープ音。今から見ると恐ろしくしょぼいが、まあ当時はそれが当たり前で、TVゲームというのはそう言うもんだと思っていた。しかしスーファミはその固定観念をやすやすとブチ破ったのである。そして魅力的なキャラクター、ドラマチックなストーリー。小説でもマンガでも映画でもない、かつて未体験だったインタラクティブ・ストーリー。それがファイナル・ファンタジーだったし、ビデオ・ゲームRPGだった。
今、最も熱いもの、それはゲームだあ!オレの中でそんな確信めいたものが生まれたのはこのスーパーファミコンというゲーム機の持つ潜在能力の高さを垣間見た時なのであった。その頃オレは既に30歳。それまでゲームなど殆どした事がなく、三十路に入ってからのゲーム・デビュー。当時ゲームは子供のするものと思われてたから、ゲーム中年のオレは周りに馬鹿にされまくってましたね。「おおfumoさん、今日も家に帰って一人でピコピコかい」とかよく笑われてましたよ。大きなお世話でしたね。その後のプレイステーション等次世代機のブームが世間にTVゲームを認知させましたが、ブームになると今度はオレの事を馬鹿にしてた全く同じ連中が掌を返して「面白いゲームがあったら紹介してくれ」「なにかゲーム貸してくれ」とか言ってきましたね。なんじゃそれ、って感じだよな。付和雷同型の一般世間の俗物が大嫌いで、たまに日記で罵倒しているのはこんなことがあったせいもあるのよ。

ダンジョンマスター (SFC)

洋物PCゲームのスーファミ移植版。いやあ、はまった。薄暗くじめじめした地下迷宮を下へ下へ、最下層に君臨する悪の権化を抹殺する為にひた進むのである。視界は3Dだが、ポリゴンとかではなく、進行に合わせ絵がアニメーションする感じ。戦闘、アクション、全てリアルタイムであり、インタラクティブに出来ている。そして生存のために食事をし、水を飲まなければならないのである。自分でぶっ殺したモンスターの肉を食みながら先へ進むのである。落ちている石を拾って投げたりとか、松明が無くなると視界が効かなくなったりとか、重い武器ほど振り下ろす時間が掛かったりとか、荷物が多すぎると歩きが遅くなり体力が減っていったりとか、時々眠らなきゃならなかったりとか、もう何から何までリアルに出来ていた。そのリアルさはもはや自分がこのダンジョンの中で生活しているかのようであった。あとにも先にも2回やったゲームはこのダンジョンマスターぐらいだ。そして、洋ゲーの凄さを思い知らされたゲームでもあった。「あー、パソコンでゲームやってみたい」と思わせてくれたゲームでもあり、しいていえば、オレが後々パソコンを買う切っ掛けとなったゲームだと言う事も出来るだろう。

伝説のオウガバトルSFC)

ジャンルでいうと「ファンタジー・リアルタイム・シミュレーション」ということになるのだろうが、そのシステムとビジュアルイメージはかつて見た事のない斬新なものだった。丸っこく可愛いキャラクターはしかしとても個性的で、和風ではあるにせよファンタジー世界のイメージをしっかり捉えていたと思う。このイラストレーターの力量で、このゲームの魅力が殆ど決まっていたのかもしれない。既に世界観が恐ろしくしっかりしていたのだ。ドラゴンテイマーやパペットマスターなどのジョブも新鮮だった。あとネクロマンサーのダークさはちょっとしたもんだったな。そして、ある意味不条理なゲームバランスとルールが逆にゲーム攻略の意欲をかき立てた。なにしろきちんとした数値が存在しないので、時として納得出来ない勝敗が出たりするし、これは実際はゲームバランスが悪いせいなのだろうけれども、そんな荒削りな所にまた妙に魅力を感じた。そして音楽。オレ、ゲームのサントラ買ったの、後にも先にもこのオウガバトルだけです。
このゲームは、その後、ゲーム史に残る名作中の名作、多分これ以上のSRPGは今後出ないだろうとまで言われる「タクティクス・オウガ」へと成長し、そして隠れた傑作「ファイナル・ファンタジー・タクティクス」へと受け継がれていくのである。両方とも、100時間はプレイしました…。そしてこのゲームはゲームクリエイター松野泰己の名を世に知らしめた作品でもあります。彼と彼のかつてオウガバトルを作っていたチームは今、ファイナル・ファンタジーⅫの製作に取り組んでおります。ああ、楽しみ…。

バーチャファイター (AC)(SS)

フルポリゴンによる初の格闘ゲーム。全てが画期的であった。それまで格闘ゲームといえば有名なストリートファイター2。しかしそこではキャラクターは2次元の平面上でしか戦えず、不自然に飛び回り、火を吐きエネルギーボールを出し、「格闘」というよりドラゴンボールチックな超能力合戦だったんだよな。それはそれで良かったんだけど、所詮はゲームだなあ、という感は否めなかった。
ところがバーチャは違った。どこまでも青い空は目を細めたくなるほど光線が強そうだったし、砂漠の、湖畔の、夜のビルの、それぞれのステージは、温度や湿度まで感じる事が出来そうだった。体がぶつかる音、床に叩き付けられる音、どれも硬く痛そうな音だった。要するにな、どこまでもリアルだったんだよ。一つの(バーチャルな)空間がそこにあったんだよ。勿論リアルとは言っても、格闘シミュレーションではないし、よく言われているうに上段・中段・下段の読み合い、いわゆるじゃんけんみたいなもんで、そこはゲームなんだけれど、「目の前にその世界が存在する」というリアリティは確かにあったんだよ。今までの全てのゲームの概念を塗り替える画期的なゲームだったんだ。オレは動体視力も反射神経も劣るヌルゲーマーではあったんだけれど、「もうひとつの世界に没入=ジャックインする」という体験は他のどんなゲームでも味わえないものがあった。勝ち負けではなかった。そして、このゲームがやりたいばかりに、行った事も無いゲームセンターに行ってコイン積んでたりしたんだよ。

UNREAL (PC)

PCゲームはまず、その画面の美しさと細やかさ、操作がダイレクトに画面に直結する直感的なインタラクティブ性の高さ、ここに惚れました。TVの解像度を遥かに超えた高い映像表現力、キーボードとマウスで操作する簡便性。でもオレはWin95からパソコンを始めた口ですが、初めて買った新品のパソコンですら、海外製の3Dゲームはまともに動かなかった。DirectXがまだ不安定だったのと、ゲームの要求スペックがいつも最高級なのだ。だからオレとパソコンの付き合いというのは、「いかにゲームを快適にできるか」ということのみに向けられていたし、パソコンはそもそもゲーム機だと思っていた。オレのパソコンの知識はパソコンでゲームをするための知識でしかなく、だからいまだにエクセルなんか使えません。そしてオレのやるゲームは輸入ゲームが中心なので、英語力のないオレは辞書引きながらゲームしたもんです。日本製のPCゲームなんか興味すら湧かなかった。センスが段違いだと思った。快適にゲームをやるためにムーアの法則に則って2年おきにパソコンを買い換えたりしていた。
ゲームUNREALが発売された頃はビデオカードの存在が注目され始めたのと同時期で、これは画像処理をパソコンCPUではなく特化したビデオカード上で処理して描画速度と画像クオリティをあげるということなのだが、まあなにしろゲームのためとは言えパソコン歴も浅いのにいきなりパソコンケース開けてパーツ弄くるのは度胸がいりました。あの頃はVoodooビデオカードが全盛で、ビデオカード2枚刺しとかやってたな。
さてこのUNREAL、いわゆる3DゲームエンジンというのがそれまでのDOOMQUAKEなどの物と比べても画期的で、鮮やかで奥行きのある色彩とテクスチャー表示はショッキングなほどであった。ここまで書いたどのゲームでも言っていることだけれど、「まさにいま目の前にその世界がある」圧倒的な臨場感に満ちた画像がこのゲームでは再現されていた。オレはゲームそこのけで、ゲーム世界を構築する山や空や異様な建築物に目を奪われ、あたかも異世界を旅しているかのようにその世界を散策していた。今ではリアルな画像を生み出すPCゲームはごまんとあるが、衝撃的な体験だったのはこのUNREALが最初だったように思う。

*1:これが、調べたんだがはっきり分かっていないらしい。52色あって同時発色は25色というのが一番正解っぽい調査結果。http://www.wizforest.com/OldGood/FamiCom/FamiMisc.html