その日オレは電車の座席に座り、柄にも無くプログラミング言語について書かれた本などを読んでいたのである。
「アセンブリって…スクランブルの仲間か?グフフ…コンパイラは確かゲーム会社の名前だったよな…。オープンソース?何にかけて食うんだ?グフフ…」などと既に脳内は宇宙の熱死状態である。
ああ、こんなことで頭に無駄に血を集めるぐらいだったら、朝駅売りで見た《大人の特選街》でも買ってグラビアのねーちゃんのボヨヨンボヨヨンでも眺めて股間に血を集めていたほうがまだマシだった…。などと早くも後悔モードであった。
その時である。視界をよぎるものを確認したのである。
空き缶である。走行する電車の床をころころと転がる空き缶である。そしてここから、空き缶とオレとの静かでそして熾烈極まる凄惨な戦いが始まるのである。
水の上の木の葉のようにたゆたう空き缶は何所へ行くのかは判らない。まさに複雑系である。しかしだ。この空き缶がオレの足元に転がって来る時、戦いの火蓋は切って落とされるのである。
戦いのルールは単純である。どんなことがあろうと、この空き缶を意識したそぶりを見せてはいけないのである。大都会東京でアーバンでクールに生活する都市生活者は、空き缶ごときに恐れ慄いていてはいけないのである。
ゆっくりと、しかし不気味に近づく空き缶は、あたかも水面下から獲物を狙って牙を剥きながら泳いでくるホオジロザメのようだ。危険である。
オレの足元に触れそうになった空き缶を、オレは華麗なクイックステップで回避する。その間も視線は本の中の「金持ってんだぜェ、グヒヒ」と笑うビル・ゲイツの写真から目を離さない。
再び近づいてくる空き缶。しかし、次はフォックストロットのステップで鮮やかにかわすオレ。勿論視線は「iPodが売れて嬉しいよォ、うふふん♪」と笑うスティーブ・ジョブスに釘付けだ。
そして戦いに決着はついた。空き缶はオレの足元にまとわり着くのを止め、すごすごと向こうへと退却し始めるではないか。缶の背の「おいしさUP!」の文字が卑屈にオレの顔を見上げるが、負け犬の遠吠えに付き合うほどオレは情け深い男ではないのだ。
戦いは終わった。オレの一方的な勝利だった。しかし、油断はできない。また第二第三の刺客がオレを狙ってくることは確実だ。しかしオレは負けない。オレは戦い続けるのである。戦士に休息は無いのだ。
「いつでもどんな戦いでも受けて立つ」―――アントニオ猪木