僕らが死のうとしていた夜も終わった

平成11年、23歳の男によっておこされた池袋通り魔殺人事件は、死者2名、重軽症者6名という異常で悲惨な事件だった。男は、日中の池袋の繁華街で洋包丁とハンマーを振り回し、逃げ惑う通行人を追い回しは次々と殺傷して行った。被害者の中には数日後結婚を控えていた女性も含まれていたという。

犯人の男はその少年時代に不遇な家庭生活を送っており、高校時代にはサラ金の借金を支払えずに両親が蒸発、一人借金取りの押しかける家で生活していたのだという。そして進学を望みながらもそれを断念、高校中退後はパチンコ屋の定員などをするがどれも長続きはしなかった。そして出身地の岡山県から上京後、数々の仕事を転々とした後、事件当時には新聞配達を職業にしていたという。支離滅裂で読解不能な手紙を政府機関に送っていた事もあるという。貧困と鬱屈。被害妄想から生まれる社会や一般人への憎悪と敵意。男の犯罪は、吹き出物から噴き出した膿のような、陰惨な青春の暴発だったのだと思う。

そして事件の報道がされ、裁判の経緯などを知るにつれ、なぜか俺にはこの気の狂った殺人者が他人のように思えなかった。奇妙に似かよった生い立ちだったからだ。俺は地方出身者で貧困家庭の生まれで、上京はしたものの進学には失敗、その後は何の目標も目的も無い無意味で空虚な日々を何年も送っていた時期があった。上京時には新聞配達もしていた事があった。それら無為な日々と生活をここで自己弁護したり何か理由を付けるつもりなどはない。ただ、あの頃の俺の中にはいつも鬱屈した劣等感と被害者意識が腐った肉汁のようにどろどろと煮詰まっていたのだ。社会や一般の人たちへの思い違いも甚だしい強迫神経症な憤怒と憎悪。俺自身の陰惨な青春も、いつ暴発してもおかしくはなかった。

でも今ならそれがなんだったのか分かる。俺は、幼稚で、怠惰で、馬鹿だったのだ。

どんなに不遇だろうが不幸だろうが通りを歩く赤の他人を無差別に殺すのは単に基地外のやることでしかない。それを弁護するつもりはないし、まして正当化できるような理由など存在しない。しかし、犯罪を裁くのは司法のすることであり、ここで俺は犯人の事を謂いするつもりなどはない。
ただ。俺は、自分は、ひょっとして、あの男だったのかもしれない、と思う事があるのだ。池袋の路上で、歪んだ自己中心的な理由から、散弾の弾のように弾け飛んだ男。自分の不幸を見知らぬ第三者への苦痛と死で贖おうとした男。間違ってしまった人生を包丁とハンマーで正当化しようした男。

あの頃の俺が、あの男と同じ様に、狂った暴力へ走らなかったのは、たまたまそうだっただけだからなのかもしれないではないか。俺とあの男に違いがあるとすれば、それは、本当に殺したか、殺さなかったか、それだけのことなのである。

TVのニュースで読まれていた男の判決文の一部をいまだに憶えている。「その不遇な境遇に照らし、不満を抱くに至った経緯に同情の余地がないわけではない。…被告人の不遇な境遇が背景にあることを考慮しても、到底人として許されない自己中心的かつ冷酷な発想があるといわざるを得ず、動機に酌むべき事情は認められない。」同情はできるとしても、認められる事ではないのだ。その時、俺は狂ったこの男と、そして、この自分を、ひどく哀れに思った。その愚さと救いようのなさを。

男は2003年、東京高裁において死刑判決を下された。


池袋通り魔事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/ikebukuro.htm