カンフーハッスル

人は何故カンフー映画を観るのか。それは一度人をぶん殴ってみたいからである。
しかし現実でそれをするのは難しい。暴力は反社会的で犯罪行為とみなされるわけだし、武術を学んで試合の形で他人を殴る事はできるが、それはスポーツであって「ぶん殴る」行為とはまた別である。よしんば、本当にストリートファイトをしたとして、喧嘩慣れしていない人間の喧嘩というのも結構怖い。素人同士でも当たり所が悪ければ相手を不具にしたり最悪死に至らしめる事もあるからだ。
ただ現実に「こいつ口で言っても判んないからぶん殴ったほうが早いな」と思うことはある。ぶん殴ったほうが早い奴を論理的に説得し納得させるのが文明であり民主主義というものなのだろうが、逆に文明と民主主義のシステムを当然として甘受し、そうじゃないものを民度の低いものとして差別する、そんな奴等に返礼をするとしたら暴力しかない、と選択する者だってあったりする。例えばそれはテロリズムだったりする。
勿論オレは武術家でもなく喧嘩が強いわけでもない市井の平凡な小市民だから、暴力とは取り合えず無縁だが、暴力的な局面には普通に生きていても出会うことはあるし、暴力的な衝動に駆られる事だってあるのである。ただ常識としてそれを退けているだけだ。しかし、昇華させられる問題ならそれを解決できるとして、そうじゃない場合、この衝動は我慢してそれで終わりである。そのフラストレーションは代替行為を必要とする。「ぶん殴ったほうが早い」とか思いながら。オレが以前ホラー映画が好きだったのはそのせいだろう。
そういえばアメリカ映画って、クライマックスを殴り合いで盛り上げる事が好きじゃないですか?あの「ブレードランナー」だって、科学の粋を集めた人造人間と、最後は殴り合いをすることで話に決着を付けさせようとしている所が「?」だったな。白人ってこういう肉体のぶつかり合いが好きみたいだが、基本的に不粋なんだよね。芸がないの。こういう時、こいつら馬鹿なのか?と思うことがあるな。その点、スター・ウォーズは《ライトセーバー》という小道具を持ち出した所が画期的だったね。いや、確かにこんな銀河の彼方を舞台にしたSF映画のクライマックスでルークとダースベイダーが拳で殴り合ってたらそら白けるわな。関節技掛けられてるベイダーとか見たくないもん。そして《ライトセーバー》には精神的な側面を持っていることを強調しているんだね。ここが重要ね。即ち、戦いとは、肉体の戦いであるのと同時に、精神の戦いだという事ね。これが、困難な修行を経て習得できる技、《クンフー》の極意と繋がっていくわけだな。
という訳で《カンフーハッスル》!!もうおんもしろかったぞ〜〜〜!!
《豚小屋砦》というスラム街の住人達と《斧頭会》と呼ばれる暴力団クンフー大合戦を描いたものだが、そこにトリックスター的などっちつかずのチンピラを絡める事で話に奥行きを加えてるんだね。単なるクンフー合戦だったら単調になっちゃうからね。そしてこのチンピラが実は最後に…(自粛)
もう強力な流派が次から次へと登場し、《最強力》のインフレーションを起こしながらエスカレートしていく様は面白かったな。で、エスカレートしていくほど人間業じゃなくなっていくの!この辺《北斗の拳》や《ドラゴンボール》を思わせるよね。まさにコミックを読んでいるよう。この映画の惹句が「ありえねー」だけど、まさにそんな感じだね。この辺は前作《少林サッカー》を見たことがある人ならピンと来るセンスじゃないかな。
ちなみにカンドー的なラストにオレの行った劇場の野郎どもはボロ泣き!帰りに便所に入ったら男どもの咽び泣く声で便所は溢れかえってましたぜ!真の漢こそがこの映画で泣けるのだ。みんな泣け!
そういった面白さの他に、《少林サッカー》を超えたと思わせるのはセットの素晴らしさ、音楽の使い方のうまさかな。時代的な背景は中国文化大革命以前ということなんだけど、貧民街の貧しいけれど活気ある様子、そして上海租界を思わせる都市の繁華街の華やかさ、、どっちもいい雰囲気を出していた。貧民街、こんな所だったらオレ違和感なく住めるなあ。(貧乏人育ち)俳優の人たちも表情があって素敵だったなあ。作り物のような日本や韓国の俳優の顔なんかと比べて、中国の俳優の顔は生活感があってオレは好きだ。音楽もビッグバンド風の音楽が使われ、それが映像とシンクロする様はベタベタだけど楽しかった。
そして何よりカンフーの動きとそれを派手に演出するCGの良さだね。これ見ちゃうと《マトリックス》がいかに体の硬い白人が演じていたかわかるもの。というか、この《カンフーハッスル》自体、《マトリックス》のパロディみたいな所があるよね。他にもキューブリックをパクッたシーンもあり。まあ兎に角、ほんとに面白いぞーー!!