髭を剃る

お風呂は遅い時間に入る。髭を剃る時間が遅いほうがいいからだ。何故遅いほうがいいかと言うと、髭の伸びが速いからである。夕方6時に剃るのと夜11時ぐらいに剃るのでは翌日の髭の濃さが違う。朝剃れば一番いいのだろうが、これは時間に余裕がない。
髭は毎日剃る。休日は無精髭の事もあるが、それでもちょっと出掛ける時は剃っていないと居心地が悪い。まあ剃っていようが無精髭が生えていようが、小汚い顔に変わりはないのだが、この辺は心意気の問題だと受け止めてもらいたい。それと、無精髭を伸ばしている時のザラザラした自分の顔の感触がイヤなのだ。それでなくても普段からちょっと伸びてきた自分の顎髭を触りながら「あーもうこんなに伸びてる」とか思っているぐらいだ。
髭剃りは安全剃刀。電気剃刀は苦手だ。肌が荒れるし、使っていると機械から毛や皮膚の独特の臭いがするからだ。安全剃刀は2枚歯。昔はシェービング・クリームを使っていたが最近はシェービング・ジェルにしている。こちらのほうが剃り味がいい。しかしシェービング・クリームと言う奴には子供の頃独特の憧れがあった。オレは大人のすることには殆ど憧れた事のない変わったガキだったが、なぜかシェービング・クリームはカッコイイと思った。あの匂いも好きだった。オレは香水には縁のない男だが、シェービング・クリームの匂いはいい匂いだと思う。「未知との遭遇」という映画があるが、オレがあの映画で最も萌えたシーンは、実は、主人公のリチャード・ドレィファスがシェービング・クリームでデビルズ・タワーを作るシーンなのだ。
シェービング・クリームは今でこそ缶入りのスプレータイプのものが売っているが、昔はもっぱら小さな専用の陶器の入れ物で髭剃り石鹸をブラシで泡立て、それを顔に塗りたくって剃刀で剃ったものだった。外国映画でよく見る、あれだ。今でも床屋に行くとあんな風にやってくれるのかもしれないが、オレはずっと美容院で髪を切っているので判らない。でもオレの憧れていた髭剃りのスタイルはまさにこの髭剃りブラシで泡立てた泡で剃る髭だった。
オレの子供の頃、オレの叔父は床屋の見習いで、オレはよく実験台にされていた。今で言うとカットモデルと言う事になるのかもしれないが、勿論そんな格好のいいものではない。なにしろ叔父は下手糞だったからだ。「虎刈り」と言う言葉があるが、まさにその通り、虎の縞模様のように髪の毛がまだらに切られてしまう事などしょっちゅうだった。まあ子供なんで自分のヘアスタイルがどうなっていようが気にはしていなかったが。
ただ、何しろ実験台なので、まだ髭も生えてないのに「顔剃り」をやられるのだ。というか、昔床屋に行くと子供でも顔剃られていたな。あれなんでなんだ?で、多分この時の顔剃りで、オレに髭剃りクリームのイメージが刷り込まれたんだろうね。髭剃りブラシで顔に泡を塗りたくられる時のブラシの毛先の生温かい濡れた感触は、犬に顔中を舐められているような妙なこそばゆさと気持ちよさがあった。そして剃刀も長い長い折りたたみ式の剃刀で、これをまず、幅の広い皮製のベルトで刃先の裏表を「ぺしーっ!ぺしーっ!」素早くなめすんだね。これ、刃を研いでるって事なんだろうなあ。そしておもむろに刃を顔に当てるわけだ。この時のひんやりした感触。これがまた気持ちいいんだなあ。ああそうか、オレはあの時に、髭剃りをしてツルツルしてることの気持ちよさを憶えたのかな。
とか言いつつ「シェービングセット」で検索したら出てくるな。http://www.kamisoriclub.co.jp/index.htmうわー、カッコイイよこれ。イタリア製だって。やっぱ舶来もんは違うな。欲しくなっちゃうよ。買わないけど。でもいいな。女にはわからない世界だな。
最後に、以前漫画家の山上たつひこが言ってた言葉。「男が毎日剃刀で顔を削ってるっていうのに、女は毎日栄養与えてるんだよな。こりゃ男の顔は汚くなるわけよ」。お後がよろしいようで。