すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた / ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(以下JTJ)の鮮烈な人生とその死は、SFファンの間では伝説になっていて、ここで語るのも気恥ずかしいので、ご存知の無い方は、はてなダイアリーのリンクであるここあたりを参照されてください。JTJはオレの尊敬するSF作家その2です。
オレが彼女の作品に衝撃を受けたのは、その性差やセックスに関する冷徹なまでの相対主義からだった。人間の最も強い情動の一つである恋愛感情や性的興奮も言ってしまえば脳内酵素の微量な分泌のひとつでしかなく、ひいていうなら人間の人間らしさとか営みも、結局はそうした化学作用の一環以上でも以下でもない。人間は自分たちが生き易く生きるために、それら現われては消える幻のような情動一つ一つに意味を求め理由を付帯しようとするけれど、動物行動学的に見るならそれはありふれた反射行為の事例の一つでしかない。逆に言うならそのように意味のあるものと思い込まなければ我々は生きてゆけないのだ。愛は尊いかもしれないが交尾の前駆行動と言ってしまえばそれで終わり。そこには幻想も無く物語も無く、ただ冷え冷えとした現象としての人間存在があるだけだ。何故あの人は私の前から去っていくの?当たり前だ、それは人間は動物だからだ。
彼女の短編にはそういった冷え冷えとした認識が底流に流れているように思う。もちろんそういった短編ばかり書いている訳ではなく、スペースオペラ風のものやコメディタッチのもの、その筆力はバラエティに富んでいて一級作家のものである事に間違いは無いが、オレにとってJTJという作家はやはりジェンダーについての作家であった。
さてこの短編集であるが、JTJの死後10数年経つというのに、実の所、何で今頃出るの?という感じではある。ページ数も200頁弱とかなり薄く、本好きの人なら1時間も掛からずに読み終えてしまうんじゃないかな。そしてこの作品は上記のようなテーマのSFものではなく、メキシコはユカタン半島キンタナ・ロー州を舞台にした3篇の幻想譚・怪異譚である。
何故舞台がキンタナ・ローなのか?は巻末の解説で述べられているように、JTJがCIAに在職中に行われた血腥く暴力的な軍事作戦に対するJTJの複雑な心境が反映されているのかもしれない。これは物語を読み進める上で見逃せないキーワードのような気がする。しかしそのような背景を抜きにしても、これら珠玉の掌編とも言える3作品の、読み進めるうちに現実からふわりと浮き上がってしまうような錯覚を起こさせる妖しい物語は、輝きを失うわけではない。メキシコの浜辺に吹きすさぶ熱風と照りつける太陽。まだ人間の手が触れられない、グローバリゼーション以前の処女地としての海底。その原初の世界で、単なる侵入者でしかない人間は、そのちっぽけな常識を易々と無視する怪異に――出会うのである。
ちなみに、オレがJTJで一番好きな作品は「ビームしておくれ、ふるさとに」という短編だ。
全ての事がそつなくこなせて、優秀で、人望が厚く、人生には何一つ翳りの無いはずの主人公。そんな主人公はしかし、それでもなおこの《現実》に拭い難い違和感を持って生きてしまっていた。そんな彼は、アメリカ空軍に入隊し、ある日、ジェット戦闘機の訓練飛行中に、針路を真上――天空の頂点へ、成層圏の彼方へと定めて飛び続けるのだ。彼の胸に去来した《想い》とはなんなのか。JTJのある意味自伝とも取れる胸に迫る一品、そして《現実》というものに一度たりでも違和感を覚えた事のあるものには感涙せざるを得ない思いもよらないラスト。SFという枠を超えた一人の人間の魂の遍歴を感じさせる傑作中の傑作だと思う。短編集『故郷から10000光年』収録。ISBN:4150109249