万物理論

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

ガキのころはよく読んでいたが、オレのようなクソジジイになってくるとSF小説というジャンルはあまり食指が湧かなくなってくるジャンルだ。SF小説をあんまり読まなくなったのは、SF小説に出て来る人間の描写にリアリティを感じなくなったからかもしれない。物理学や量子力学(たってよく知らないんだが)をパズルのように組み立てたSF的アイディアなるものにも「だから何?」と白け、そもそもが科学的なものに興味が失せてしまっていた。《万物理論》?「宇宙の法則を総括する理論」?カンケーねーや。
およそベタベタに日常にまみれていると、これら科学的とか言われるものに自分の生活がまるで用がない事に気付く。もちろん生活の背景にあるテクノロジーやそれを支える科学知識は大切なものではあるけれども、それはラファティの小説の登場人物のように「宇宙船を操縦するのに宇宙船の構造を知ってる必要の無い未来人」としての現実の我々があるだけだ。
時として理屈の通用しない社会で生きている事を実感し、ロジックの通用しない人間関係、男女関係にうな垂れ、リアリティとは痛みを感じるときだけ、その痛みさえ消費行為をしていれば失せてしまう、という《現実》。ここではダイソン環天体だのバサードラムジェットだのステイシス・フィールドだのは絵空事であり、そんなものを嬉々と描くSF小説という奴は子供のオモチャに見えてしまう。(…だからつまらない、という意味ではない。子供のオモチャの方が優れている場合だって様様にしてある)
SFのリアリティを「一体ここに住んでる人間は何やって食ってるんだ?」とか「この社会の経済は何で成り立っていて、このインフラだのテクノロジーに掛ける資本はどっから湧いて出て来るんだ?」から求めようとすると結構辛いものが多く、そして大概「んなわきゃねーだろ」とか言って投げ出してしまうのだ。
オレが一頃のサイバーパンク小説という奴が好きだったのは、10年後には商品化されていそうな現実的なテクノロジーの変質が面白かったからだ。それにより社会や世界情勢がどう変質するのかという具体的な予想とビジョンが面白かったのだ。そしてそこで描かれる人間はSF小説らしからぬベタベタで理解しやすい感情を持っている。学者やエンジニアばかり出てくる物語より、アウトローやギャングの出てくる物語のほうがとっつきやすい。彼らは欲望はむき出しだが、人間的動機は明確だ。
ただこれは諸刃の剣で、SFの純粋なアイディアや想像力のアクロバットを楽しみたいという人には評判が悪かったりするのだ。「ニューロマンサー」刊行時には、たとえば高千穂遥などはサイバーパンクを評して「あんな風俗小説」と一蹴である。この辺のSF読みの感覚としてはid:hisamura75さんが非常に優れた万物理論批評をしているので、是非読んでみてください。(http://d.hatena.ne.jp/hisamura75/20041211
で、例によって長すぎる前置きなんだが、オレは普通に面白かった。
第1部のグロテスクな近未来テクノロジーも評判通り楽しめた。っていうかあれはイーガンの長編の癖みたいなもんだからな。中盤のユートピア社会の描写は結構どうでもよかったが後半のドンパチは楽しかった。傑作だと思う。読みながらブルース・スターリングの初期の傑作「ネットの中の島々」を思い出した。(スターリングで一番好きな小説かもしれない。でも廃刊。復刻しろ!)誰かもイーガンのこの小説を評して「スターリングの正統なる後継者」と言っていたが、あながち間違いじゃないのではないかと思う。
だが、この物語でオレが本当に心引かれたのは作者の人間と人の人生に対する優れた洞察力とアイロニーだ。長くなるが少し引用してみよう。
「――おれはそれに憤っている。成長だの成熟だのについてきかされた、糞ったれな仰々しい嘘の山に。”愛”や”犠牲”は、自分が敵陣に追い込まれた時に正気でいる為の行為でしかない、と正直に認めた奴は誰もいない」(126p)
「――何故なら、『奈落』など存在しなかったからだ。神は存在しない事を、人間も他の動物と同じ動物であることを、宇宙は目的を持たないことを、魂は水や砂と同じ材料でできている事を、私たちが知ったときも――」(374p)
ジェンダーの多様化だの、アナーキーな国家体制だの、そういうアイディアは単なるネタで、作者の思想ではないのだと思う。また万物理論なる宇宙論にしても、単にSFお得意の大法螺として理解するのが正しいのあって、あまり深く掘り下げる必要はないように思うのだ。ただ、この物語の面白い所は、「宇宙の仕組みと本質」を探求するマクロな物語のように見せかけて、実は「人間の内面と、魂の寄る辺とするもの」についてのミクロな物語であったということだ。最新の(と言っても刊行は1995年だが)科学理論や科学知識を駆使しながら、しかし作者が描くのはあまりにもベタベタで人間臭い、よりよく生きたい、人を愛したい、人の役に立ちたい、という願いや葛藤であったりする。その辺が面白い。実はグレッグ・イーガンってそこが読みどころなんじゃないのかな。