吸血鬼/ポランスキーのもう一つのホロコースト

ロマン・ポランスキーの吸血鬼 [DVD]

ロマン・ポランスキーの吸血鬼 [DVD]

子供の頃土曜日の夕方放送していたTVで観て、物凄く怖かったのを憶えてるんだよ。ドラキュラとかいうものは知っていても、海外できちんと作られた吸血鬼映画を見たのはこれが初めてだったのかもしれない。ラストがメチャ怖くて、オレは子供心に吸血鬼の存在を本当に信じてしまった位だよ。ある意味トラウマになっていた映画なんだね。
実際の映画のほうは「吸血鬼映画のパロディ」と言われているぐらいだから、ある程度コミカルに作られているんだ。ロマン・ポランスキー自体も吸血鬼ハンターの教授の弟子ってことで主要人物として映画に出演しているが、この教授と弟子っていうのがそもそも凸凹コンビの扱いで、歩き方ややり取りなんかは伝説のコメディアン・マルクス・ブラザースもかくや、っていう感じのドタバタを演じてるんだ。
だから今回はそういった趣旨を飲み込んだ上で、本当に30年ぶりぐらいで観たんだけど、始めて見た時のイヤ〜な怖さは、やっぱり存在してるんだね。そして、30年以上前に1回だけ見た映画なのに、筋も場面も殆ど憶えていた、ということにも驚いたね。
何がイヤ〜だったかというと、やはり吸血鬼モノって言うのは濃厚な死の匂いがしているからだし、その伝染性からは致死性の疫病を連想するじゃないか。よく言われる吸血の噛み付き=セックスのメタファー、エロスとタナトスがどうのこうのって言う議論なんか入る余地がないぐらい、圧倒的に「死」についての映画だと思うんだよ。
そしてこの物語は、社会のいろいろなものの『象徴』で満ちているように思った。
まず最初に「村」と「お屋敷」の関係だ。「死」を運んでくる「お屋敷」に対して村人は語ることをタブー視しているばかりか、お互いに現実を認めようとしていない、文字通り牧舎の羊達のように沈黙している、ということだ。
そしてそこにやってきた「教授」と「弟子」の無能だ。「教授」はインテリ、知識階級というものの無能ぶり、観念に溺れ現実を直視しようとしない怠惰さ傲慢さを表しているとはいえないか。だからこそ最後までお惚けは上手だが吸血鬼の退治にはことごとく失敗するんだよ。そして「弟子」のあまりにも若すぎる為の「無知」ゆえの無能。「弟子」は目の前の現実は見えてはいるんだけど、それをどうしていいのか判らずにただパニックを起こしているだけなんだ。これは自由に生きているはずの「若者」の無能、無知をを表しているんじゃないだろうか。
そして吸血鬼の餌食になる「女」。彼女達は、吸血鬼に蹂躙される事で最初は悲鳴の一つもあげるのだけれど、最後には「こっちのほうがいい目が見られるし楽だわ」とか言って吸血鬼に体を任せてしまうんだ。これは現世的な既得権益だけに目を奪われ、目先の利益だけで全てを判断する付和雷同型の思想を持つ人たちの事じゃないか。
そして「お屋敷」の吸血鬼の圧倒的な退廃と下品さ。ただし確実な「死」を与える事が出来る絶対的な権力だけは持っていて、そしてその力で世界を支配する事も出来る、と妄信する狂気に取り憑かれているんだ。
実はこの映画、「戦場のピアニスト」でナチスドイツに蹂躙されるユダヤ市民を描いたロマン・ポランスキーの、もう一つのホロコーストの物語である、という見方が出来ると思う。
つまり、「お屋敷」はナチスドイツ、「村」はヨーロッパ。知識人(教授)と若者(弟子)のナチスに対する無能。ファシズム既得権益に群がる「女」はドイツ市民、ナチスシンパと枢軸国か。
第一次世界大戦後、復興を目指すドイツは、当時世界でも類を見ない画期的な民主主義憲法、ワイマール憲法を制定する。新生ドイツは理想に満ちた国家として再出発するはずだったのである。しかし台頭するヒトラーナチス党はこれを骨抜きにし、最終的に有名無実のものとしてしまった。この際、知識層は疑問を持ちながらも何の発言も出来ず、大衆は「強力なアーリア人」というスローガンに酔って現実が危険な方向へ進んでいることを無視した。この無知と無力と無能。もし、あの時、誰かが声を上げてナチスを糾弾できてさえいれば。ポランスキーは、あの時代に手をこまねいていた人々とそれらを支配していた権力の姿を、この映画の中に織り込んでいるのではないだろうか。
そして、物語の最後はこんな台詞で締めくくられる。「――教授が異変に気付いていれば、吸血鬼の連鎖が世界中に広まる事はなかっただろう」。誰かが何処かでナチスの台頭を止める事が出来ていれば、殺戮の連鎖は世界に広まる事はなかった、という意味にも取れないだろうか。
もちろん、こういう見方をしてしまうと映画の面白さを限定してしまう事になるので、もう一つの見方として読んでください。
しかし、もう一つ、別の意味でこの映画に濃厚な「死」の匂いを持ち込んでいる存在がある。それは主演女優のシャロン・テートの存在である。ご存知の方も多いと思うが、彼女はこの映画の監督のポランスキーの妻であり、映画の成功により、アメリカに行く事になる。そしてそこで、この映画「吸血鬼」のお話を真に受けた狂人、チャールズ・マンソンとその狂信者達によって惨殺される。その時彼女は妊娠中だったという。チャールズ・マンソンはその後拘留され死刑判決を受けるが、その直後死刑法が廃止され、彼はまだ獄中で生き続けているのだという。