オレとホラー① ビデオドロームと観念性

本当はジャンルとしてのホラー映画って馬鹿にしてたのね。下らない、と思ってたんですよ。映画には、少なくともちゃんとしたドラマが必要なんだと思ってたんだね。ホラーというのはそのドラマを無視して、単に驚かせたり、グロテスクなものを見せたりするのが優先で、そういった煽情主義を程度の低いものだと感じてたんだ。
しかし、その考えを覆したのはデビッド・クローネンバーグの「ビデオドローム」だった。
ビデオドロームというSM海賊放送に取り付かれたTV製作者が、虚構と現実の境を無くして最後には自滅してしまう、といったストーリーだったが、観念が現実を侵略し、現実がおぞましく変容させられてゆく有様が、内臓感覚のグロテスクなビジュアル・イメージで表現されていた。脈打ちのたうつTVとビデオテープ。官能に息づき、「あたしの所に来て」と囁くブラウン管。腹にビデオ挿入口が出来てしまった男。
観念の肉体化。それを映像として見せる、という恐るべき力技。そして、具現化された観念は、脈打つ内臓の形をしている、という不気味さ。よくもまあ、こんなものを作ったなあ、とその変態ぶりに感嘆したわけなんですよ。
それと、そもそも、映画のドラマツルギーってなんだ?という疑問も生まれた。たった2時間で辻褄合わされた人間のストーリーに何がしかリアリティを与える・感じることって限界があるんじゃないだろうか?ホラーとはこのテーゼを破壊し、うそ臭いリアリティをあざ笑うものなのではないか?
そこからオレはホラーを観る様になっていった。