三十路 会田誠第二作品集/会田 誠(著)

あー。このカテゴリだけは作りたくなかったんだが。真性プロレタリアートのオレにとって芸術だのアートだのは語るのもおこがましいジャンルである。というか、ガラじゃないんだよね。
どこかでアートってブルジョアの慰みもんで、金持ちのパトロンが付いてなんぼ、みたいなステレオタイプなイメージがあるんですよ。村上隆みたいにアニメ絵=大量生産=ポップアートの文脈でOTAKU要素を摘み食いしてるだけなのに、金の臭いばかりぷんぷんさせてるのを見るに付けそういう偏見がふつふつと湧くよね。そもそもあれって誰の為の作品なんだろう。日本は階級が見えにくい部分があるけれども、そんな資本の側の高級玩具を一緒になってありがたがるのはちょっと能天気じゃない?って思っちゃうんですよ。
会田誠の面白いところは何しろ芸術家だけに技法や素材・画材選別はきちんとプロな所である。国宝である「風神雷神図屏風」さながらに金箔や和紙や顔料を使って「ウンコにたかるゴキブリ」の屏風を作ったりしてるんである。馬鹿だなあ。
アーティスティックなイラストレーターや写真家や広告屋はいるし、それを否定しようとは思わないが、基本的には企業が求める物を作るのが仕事である。逆に、そんな中で個性的な作品を作り出してこそアーティストとして評価されるんだろうが、善きにつけ悪しきにつけ、大量消費の臭いが染み付いているのは仕方ないことなんだろうなあ。
結局、会田誠が面白いのは、資本の外でこれだけ高い評価を得て、なおかつ評価に外れないユニークな作品を生み出していて、おまけにあろう事か、お馬鹿でお下劣で無意味というところだ。権威を否定しているのではない。どうひっくりかえっても権威になりようのない脱力的なインスタレーションばかりを作品化しているのである。面白えよなあ。
会田の作品で一番最初にショックを受けたのは「巨大フジ隊員VSキングギドラ」だな。ウルトラマンに出てくる女性隊員フジ隊員が巨大化してキングギドラに絡み付かれて、はらわた貪り食われの陰部に鼻先突っ込まれの、という益体も無い構成なんだが、これ、3mX4mのセルに描かれたセル画でもあるんだよね。作者の解題によるとアニメ絵と浮世絵の相似関係とか、北斎春画をベースにしているとか言っていましたが、やっぱりきちんとした技巧で描かれた変態的な絵って、凄みがありますよ。
その他にも美少女をモチーフにした猟奇な数々の作品は「萌え」とか言ってるオタ1万人ぐらいは軽くぶっ飛ばすことが出来るでしょう。(オレ、漫画家の古屋兎丸にも同じ様なモチベーションを感じるんだけどなあ。この人ももっと評価されていいと思うんだけどなあ。)
美少女ものではまず「雪月花」3つのバリエーションが展開される「犬」というタイトルの作品群。これは手首と膝から下を切断された全裸の美少女が首輪に繋がれてさながら「犬」のようにポーズを取っている絵柄です。シチュエーションの陰惨さとは裏腹に屈託無く笑みを浮かべる少女の美しさには度肝を抜かれます。絵自体は日本画を基本に描かれてます。
「食用人造少女・美味チャン」。20XX年、人類の食糧危機を救う為開発された人造少女、美味ちゃん。ここでは美味ちゃんは開きにされて炙られたり海苔巻きにされて刻まれたり、ザク切りにして椀物になったりしてます。一番使い勝手がいいのはチルド食品になったチルド美味ちゃん。レンジで3分。あとシャケみたいに卵巣を搾られてイクラを性器からひり出してる美味ちゃんとかいます。
そして今回の作品集の表紙にも使われている「ジューサーミキサー」。家ほどもある巨大なジューサーミキサーに数千人の全裸の少女が放り込まれています。そしてジューサーミキサーの下部では、スイッチが入ったらしく、少女達が血塗れになって攪拌され、ジュースになろうとしてます。
そしてこれら全てを解題する(?)パフォーマンス、「イデア」。ビデオ作品の一部を写真にしてあるんですが、これが壁にデカデカと書かれた「美少女」という文字を目の前にして全裸の会田誠(たぶん)が後ろ向きに立ってるんですよ。そして、ポーズから見ると、「美少女」の文字を見ながらオナニーしてるんですよね!馬鹿ですねー!サイテーですねー!でもね、タイトルの「イデア」というところに立ち返るなら、これは観念に人は欲情するか?ということなんですね。そして、観念と即物的な自己の対峙、ということでもあるんですね。イデアとは、存在を存在たらしめている真の実在、という意味のプラトン哲学なんです。そうです。会田誠の描く美少女は、単なる壁に書かれた文字という観念と変わりは無い、すなわち、それは実在ではなく、現実的な存在とは乖離している、という意味で、欲望の対象から位相をずらされた、ひとつの記号的な少女でしか有り得ないのです。