「イノセンス」映画評

イノセンス」観てきましたよ。正直に言うと普通に面白かった。
無駄な台詞は予想以上に多くて、しかも引用文をしつこいぐらい連発しており、観ながら「こりゃ会話じゃなくて説明文だな」と失笑してました。オレ、昔「文章の書き方」みたいな本で「引用は多くしちゃいけない」と言うセオリーを叩き込まれてたんで、この映画の引用の多さは白けまくったなー。しかし無意味な台詞を全て無視すると執拗に作りこまれた世界の背景が迫ってきて圧倒されましたね。特に後半部最初のクライマックスである択捉経済特区侵入の映像。飛翔するティルトローターの俯瞰映像から始まって択捉特区のブレードランナーのオープニングを思わす「地獄」さながらの非人間的な構造物、そして、択捉内での東洋の様々な文化がごった煮にされ吹き零れたかのような混沌と過剰に満ちた町並み。「イノセンス」の見所はここなんじゃないかとオレは勝手に思いました。
ただここまでの展開はSF色が薄くて、「人間の力を凌駕する義体を作れる時代に、なんでレトロなコンビニでドッグフード買ってんじゃコイツ?」とか、「ヤクザが出てくるけどこの時代の暴力団はもっと洗練されてるんじゃないのか?」とか、”未来世界”というものの作り込みの甘さが感じられました。SFってさあ、こまかなガジェットとディテールの積み重ねだろー、そういう未来的な時代考証してないよなー。
これはなぜかというと、この映画、殆どが監督の押井守の自己愛のみで作られてるからです。だってよー、バセットハウンドがこの映画にいったいなんで必要なんだよ。必然性が皆無じゃねーかよ。挙句の果てに重要な部分の台詞で神と(人間を除いた)動物を同等に扱うような言及があって、それは単に押井守のペット偏愛を正当化してるだけだろー、と思った。
と言うかこの映画、「押井守の押し付けを無視すれば面白い映画」という逆転と言うか裏返しと言うか身もフタも無い見方をするべき変な映画でもある。でも、やっぱり、1作目の「攻殻機動隊」は、惜しいけど、超えてないと思う。何より、やっぱり、華が無いんだよ。
攻殻」は、オープニングの、草薙が光学迷彩の輝く闇に取り込まれながら高層ビルから消えていく、という場面で、この映画の世界観を1発で説明してたし、この映画の主人公がいかに(義体という)異常な肉体の中に生きているのか、という状況説明から、この映画の最後に待つ主人公の運命を密かに暗示してたんだよ。そして、そのクライマックスの肉体破壊のカタルシスへと観客の期待を持たせていくんだ。なぜなら、異常なものが異常なまま映画が終わったら、それは異常である必要が無いじゃないか。この異常さが、繰り返し映画の中で言及され、肉体と意識の存在について、観る者に問題提起していくんだよ。それが「攻殻」と言う映画の面白さだった。
だけど、この「イノセンス」には何があるの?と言うと何も思いつかない。球体関節がどうとか人形がこうとか言ってるけどそれはエッセンスに過ぎないわけで、エッセンスは本質になりえないんじゃないかとオレは思うよ。残るのは下らないバセットハウンドだけじゃないか。つまりこの映画には問題意識もないし娯楽作品としては中途半端に暗いし、能書き多い割には大した事無いわけ。だからこそ、能書き無視すれば楽しめる映画だと書いたわけ。ラストもきちんとアクションあるしね。よかったよ、ラストのアクション。
でもちょっと思ったんだけど、この映画、ひょっとして「攻殻機動隊2」なんではなくて、「天使の卵2」だったのかも知れないね!
と言うわけで結論:「押井守には今後脚本を書かせてはいけない」